明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年3月28日土曜日

愛媛県の獣医養成

玉井豊著「愛媛篤農伝」愛農刊行会(松山市下伊台町)発行・昭和四十四年。愛媛県の獣医養成 愛媛県仮病院を明治八年に松山小唐人町(今の東雲高校)に移転し、『松山病院収養館』とし、西洋医学による医師養成の医学校を開くが、明治 十九年には廃止となる。その後、医学校の跡に、宇喜多秀穂が獣医学講習所を設け る。講習生四十名。明治二十年十二月文部大臣認可の『愛媛県立獣医学校』となる。明治二十五年廃校となる。卒業生百十余名。飯尾平太・獣医講習所卒業。元治元年一月二日、今治市国分・旧越智郡桜井村大字国分に生まれる。明治二十年頃り、昭 和二十三年頃迄診療に従事。子息秀雄、孫満雄、二朗、弟新太郎、甥豊も獣医師。 

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