明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2014年4月25日金曜日

太子流馬医術に関する文献

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya09/ya09_01186/


2014年4月22日火曜日

日本獣医史学雑誌

1994年31号の原著「馬(牛)眼溷晴虫考」荘保忠三郎は山口大学図書館蔵・元亨療馬集を引用するが刊年を確定していない。図はおそらく銀塩写真で撮影されたものであろう。何故なら貴重図書の館外持ち出しは館長の許可が必要で、元亨療馬集が館外に持ち出されたのは過去に一度で、その時に二部の全文複写が行われた。その一部は館長が保存、残りの一部が手許にある。

関東大震災による『有隣堂』の転居


穴山篤太郎は社員の落合彌三方へ避難している.この記事は「現代の獣医」九巻四号に掲載されている.

2014年4月19日土曜日

戦前の日本史の教科書


現在八十歳の日本人はこのような歴史教育を受けていた.七十歳は・・・腹がへって歴史なんぞはどうでも良く,ローマ字が苦手だった.六十七歳の小生は,小学校の給食の脱脂粉乳が飲めなかったし,社会の授業で先生は歴史の話はしなかった.中学生の時新任の社会の教師が熱っぽく邪馬台国の話をしたのを覚えている.