明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2010年5月17日月曜日

明治期の流行性鵞口瘡・口蹄疫の発生数

明治三十三年度は2289頭発病,斃死は30頭1944頭回復.34年度627頭発病,斃死52,回復566頭,35年度522頭発病,斃死13,512頭回復.撲殺は41年度からで634頭発病のうち4頭を撲殺している.
斃死獣はいずれも幼獣で成獣では稀である.古い家畜疾病予防学の教科書には,発生した場合は完全に隔離するか,撲殺とある.感染が拡大する恐れがある時は強制的に感染させて流行期の短縮を図るとされている.強制的に感染させた場合,牛群は2・3週間で免疫を獲得する.

2010年5月13日木曜日

口蹄疫の防疫

現行の家畜伝染病予防法では,偶蹄類の口蹄疫はと殺の義務がある伝染病とされている.と殺の例外はけい留して検査する擬似患畜のみで,確定診断のついた家畜は家畜防疫員の指示に従いと殺し,死体を焼却又は埋却することと定められている.明治三十年の獣疫予防の心得では,口蹄疫は流行性鵞口瘡の名になっている.津野慶太郎「獣医警察学」では最も有力なる防疫方法は交通遮断としている.完全に交通遮断を行い,病畜を隔離できれば伝染が防げるが,旧法では英国と同様に,速やかに撲殺と交通遮断を行うべきとしている.家畜伝染病の発生時には交通を遮断して畜舎,糞尿その他の消毒を行うが,この際最も気を付けるべき事は,小鳥や昆虫,その他の小動物の駆除である.昨今の宮崎での発生例では,トラックに消毒薬を浴びせるシーンが何度か見られたが,牛舎に蝿が居ないかそちらの方が心配である.昔,満州国の時代に牛疫が発生した時の対処法は,防疫にあたる獣医は松明を片手に馬に乗り,牛舎に火を付けて回ったとある.誠に野蛮で残酷な方法だが,悪疫の流行を絶つには最高の方法と言える.