明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年3月23日月曜日

ザブについて

ザブについて
中山英一著『被差別部落の暮らしから』朝日選書606.朝日新聞社発行2000年11月第5刷
 長野県の部落の人たちは部落外の人を『一般』『一般の人』『百姓』『ザブ』『シュク』と呼んでいた.
 食べ物については「兎の肉」「ナカモノ」「モツ」「スジ」「サクラ」「オタンポ」があった.「オタンポ」とは「落ち馬」で,明治の始め頃まで部落には斃牛馬の処理権があった.斃牛馬は駐在巡査立会いで,馬捨て場で石油をかけて焼却するように定められていたが,実際は解体されて,皮革,食べ物として利用されていた.立会いの巡査は火をつけるまねをすると駐在所に帰った.その日の夜には新聞紙に包んだ一貫目ほどの肉が駐在所の勝手口に置いてあった.

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