| 伝染性疾病の種類 | 家畜の種類(※印は政令[1]で追加されているもの) | |
|---|---|---|
| 1 | 牛疫 | 牛、めん羊、山羊、豚、水牛※、しか※、いのしし※ |
| 2 | 牛肺疫 | 牛、水牛※、しか※ |
| 3 | 口蹄疫 | 牛、めん羊、山羊、豚、水牛※、しか※、いのしし※ |
| 4 | 流行性脳炎 | 牛、馬、めん羊、山羊、豚、水牛※、しか※、いのしし※ |
| 5 | 狂犬病 | |
| 6 | 水胞性口炎 | 牛、馬、豚、水牛※、しか※、いのしし※ |
| 7 | リフトバレー熱 | 牛、めん羊、山羊、水牛※、しか※ |
| 8 | 炭疽 | 牛、馬、めん羊、山羊、豚、水牛※、しか※、いのしし※ |
| 9 | 出血性敗血症 | 牛、めん羊、山羊、豚、水牛※、しか※、いのしし※ |
| 10 | ブルセラ病 | |
| 11 | 結核病 | 牛、山羊、水牛※、しか※ |
| 12 | ヨーネ病 | 牛、めん羊、山羊、水牛※、しか※ |
| 13 | ピロプラズマ病(農林水産省令で定める病原体によるものに限る[2]) | 牛、馬、水牛※、しか※ |
| 14 | アナプラズマ病(農林水産省令で定める病原体によるものに限る[3]) | 牛、水牛※、しか※ |
| 15 | 伝達性海綿状脳症(BSE) | 牛、めん羊、山羊、水牛※、しか※ |
| 16 | 鼻疽 | 馬 |
| 17 | 馬伝染性貧血 | |
| 18 | アフリカ馬疫 | |
| 19 | 豚コレラ | 豚、いのしし※ |
| 20 | アフリカ豚コレラ | |
| 21 | 豚水胞病 | |
| 22 | 家きんコレラ | 鶏、あひる、うずら、七面鳥※ |
| 23 | 高病原性鳥インフルエンザ | 鶏、あひる、うずら、きじ※、だちょう※、ほろほろ鳥※、七面鳥※ |
| 24 | ニューカッスル病 | 鶏、あひる、うずら、七面鳥※ |
| 25 | 家きんサルモネラ感染症(農林水産省令で定める病原体によるものに限る[4]) | |
| 26 | 腐蛆病 | みつばち |
明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
リンクリスト
2015年2月14日土曜日
現行の家畜伝染病予防法では、いのしし、しか、水牛、きじ、だちょう、ほろほろ鳥、七面鳥が家畜に加えられている。
2014年10月13日月曜日
明治三年上海在留外務省出張官員に関する情報
http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/706/1/0030_058_024.pdf
明治四年6月7日の太政官公布第二七六号の牛疫予防法の元となる報告をした人物。山脇圭吉の「日本帝国家畜伝染病予防史」ではイシデロングとなっているが、これは誤り。イシデロングはC.E.DeLongで横浜駐日米国特派全権公使。これに手紙を送ったのがテイ.アイ.マクガワンで、これは上海駐在の米国領事。
明治四年6月7日の太政官公布第二七六号の牛疫予防法の元となる報告をした人物。山脇圭吉の「日本帝国家畜伝染病予防史」ではイシデロングとなっているが、これは誤り。イシデロングはC.E.DeLongで横浜駐日米国特派全権公使。これに手紙を送ったのがテイ.アイ.マクガワンで、これは上海駐在の米国領事。
2014年9月15日月曜日
2014年7月6日日曜日
訃報
于船教授,原名孙裕川,1924年11月生,陕西三原县人。1946年毕业于陆军兽医学校,随后任种马场一等技佐;1948年到华北大学农学院任教,并提任兽医专修科主任和畜牧兽医教育工作站主任;1950年转入北京农业大学(即今中国农业大学),历任教研室主任、兽医系主任、讲师、副教授、教授等职。曾任中国畜牧兽医于船教授,原名孙裕川,1924年11月生,陕西三原县人。1946年毕业于陆军兽医学校,随后任种马场一等技佐;1948年到华北大学农学院任教,并提任兽医专修科主任和畜牧兽医教育工作站主任;1950年转入北京农业大学(即今中国农业大学),历任教研室主任、兽医系主任、讲师、副教授、教授等职。曾任中国畜牧兽医学会副理事长、名誉理事长,兼任中国兽药典副主任及中药组组长、《中国兽医杂志》主编,是世界兽医学会会员、中国农业历史学会顾问。2005年11月2日因病医治无效在北医三院去世。
于船教授是中国现代中兽医学奠基人。从20世纪40年代起,他便擎起恢复和振兴中兽医事业的大旗,团结和荐举民间中兽医人员,收集和总结中兽医诊疗经验。1956年倡议并成立了中国畜牧兽医学会中兽医学组,主编《中兽医专题资料及研究报告》和《中国古农书丛刊·畜牧兽医之部》,兼任河北定县中兽医学校(今河北农业大学中兽医学院)中兽医教学指导,1958年又在北京农业大学成立了中国历史上的第一个中兽医本科专业,1974年倡议建立了全国中西兽医结合协作组及六个协作片区,并首次主持各高等农林院校内部联合铅印了全国高等农林院校《中兽医学》教材,1979年倡建了中国畜牧兽医学会中西兽医结合研究会并担任副会长兼秘书长,建立了中国第一个中兽医学硕士点并担任导师,1979年和1985年先后两次主持修订高等农业院校《中兽医学》统编教材即“第一版”和“第二版”,1991年主编了全国高等农业院校中兽医专业本科统编教材并承担了《中兽医基础理论及诊断学》编写工作。于船教授也是激光兽医学奠基人,他从70年代起就把激光技术应用到兽医针灸领域中,他和他的14个研究生(其中1人是60年代培养的病理生理研究生)一起对动物经络与穴位的生物物理特性进行了长期的深入的研究,其成果至今仍居世界前列。
学会副理事长、名誉理事长,兼任中国兽药典副主任及中药组组长、《中国兽医杂志》主编,是世界兽医学会会员、中国农业历史学会顾问。2005年11月2日因病医治无效在北医三院去世。
于船教授是中国现代中兽医学奠基人。从20世纪40年代起,他便擎起恢复和振兴中兽医事业的大旗,团结和荐举民间中兽医人员,收集和总结中兽医诊疗经验。1956年倡议并成立了中国畜牧兽医学会中兽医学组,主编《中兽医专题资料及研究报告》和《中国古农书丛刊·畜牧兽医之部》,兼任河北定县中兽医学校(今河北农业大学中兽医学院)中兽医教学指导,1958年又在北京农业大学成立了中国历史上的第一个中兽医本科专业,1974年倡议建立了全国中西兽医结合协作组及六个协作片区,并首次主持各高等农林院校内部联合铅印了全国高等农林院校《中兽医学》教材,1979年倡建了中国畜牧兽医学会中西兽医结合研究会并担任副会长兼秘书长,建立了中国第一个中兽医学硕士点并担任导师,1979年和1985年先后两次主持修订高等农业院校《中兽医学》统编教材即“第一版”和“第二版”,1991年主编了全国高等农业院校中兽医专业本科统编教材并承担了《中兽医基础理论及诊断学》编写工作。于船教授也是激光兽医学奠基人,他从70年代起就把激光技术应用到兽医针灸领域中,他和他的14个研究生(其中1人是60年代培养的病理生理研究生)一起对动物经络与穴位的生物物理特性进行了长期的深入的研究,其成果至今仍居世界前列。
2014年6月20日金曜日
時重初熊・明治二十六年三月調査「山口県師範学校男子卒業生現況一覧」
表記の記録は『亀山同窓会報付録』
○第五期卒業生明治十年五月廿四日卒業下等小学師範学科急成科在学六ヶ月 帝国農科大学助教授 正八位 時重初熊 と記されている.
○第五期卒業生明治十年五月廿四日卒業下等小学師範学科急成科在学六ヶ月 帝国農科大学助教授 正八位 時重初熊 と記されている.
2014年5月6日火曜日
針参本・馬経大全の版木が出た!
www.dh-jac.net/db1/books/results.php?f9=獣医学
巻頭の部分のみで版元を確定できないが、版木の状態は良い。
この版木は西村市郎右衛門蔵版と同一と思われるが、目録部分の罫線に欠けた箇所があるから
少し後のものであろう。版木一枚裏表四丁の典型的和本版木である。
巻頭の部分のみで版元を確定できないが、版木の状態は良い。
この版木は西村市郎右衛門蔵版と同一と思われるが、目録部分の罫線に欠けた箇所があるから
少し後のものであろう。版木一枚裏表四丁の典型的和本版木である。
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