明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年4月26日日曜日

日本犬のルーツ

南で生まれた北海道犬「科学朝日」1989年田名部雄一

犬血球ヘモグロビン変異型やガングリオシドモノオキシゲナーゼ,血漿アルブミンSなどの型遺伝子頻度から日本犬のルーツを探るもので,完全に理系の歴史研究である.

 この論文によると,日本で最も古い犬の骨は縄文初期のものが横須賀市夏島貝塚から出土,愛媛県上里岩洞窟からは八千五百年前の犬埋葬例が出土している.これが弥生時代になると埋葬の形跡がなくなり,食用にされたと思われる痕跡の骨が出土することから,犬を食べる人間が日本列島へ入ってきたと推定している.

 遺伝子頻度の調査から,縄文時代の列島の犬は台湾から北海道に分布した南方アジア型の在来種で,弥生から古墳時代になってここに朝鮮半島の珍島犬(北方エスキモー種)種の血が入って混血がはじまり,多くの日本犬種が生まれて来る.遺伝子の位置関係からすれば,純粋の在来犬は北海道犬で,屋久島犬群や美濃柴犬,甲斐犬がこれに次ぐ.大陸からの遺伝子を色濃く持つ犬種は山陰柴犬,対馬犬群,三重実猟犬で,信州柴犬は中間に位置する.

 馬や馬具の渡来と重ね合わせて見ると極めて参考になる.この論文は古本屋で買った『日本人の起源を探る』という雑誌の中に掲載されていた.どれでも百円均一のゴミ本も見逃せない.

2009年4月15日水曜日

陸軍獣医学校生徒採用試験問題

陸軍獣医学校生徒採用試験問題

明治二十九年八月廿五日ヨリ同月三十日迄第五師団司令本部に於施行


解剖学第一問題

 馬ニ於ケル胃壁ノ構造及之レニ分布スル動脈及神経ノ名称如何

解剖学第二問

 頭蓋骨及顔面骨ヲ構成スル骨数及其名称を問フ

生理学第一問題

 胆汁ノ作用ヲ問フ

生理学第二問題

 草食獣肉食獣及雑食獣ノ尿ニ付キ其性質性分ノ相異ル点

 ヲ記ルスヘシ

内科学第一問題

 尿閉(馬ニ於ケル)ノ原因、症候、及ビ鑑別ヲ説明スベシ

内科学第二問題

 喘鳴症ノ原因ヲ説明スベシ

外科学第一問題

 交突違歩(脚交叉傷)ノ原因、症候、及察病ヲ説明スへシ

外科学第二問題

 陰嚢水腫の察病及治療法ヲ説明スベシ

薬物学第一問題

 樟脳ノ性状効用主治及其用量ヲ説明スベシ

薬物学第二問題

 依的児ノ性状効用主治及其用量ヲ説明スベシ

病理解剖学第一問題

 急性気管支炎ノ患部ヲ説明スヘシ

病理解剖学第二問題

 脱臼ノ病的変状ヲ説明スヘシ

物理学第一問題

 電気良導体及絶縁体ヲ問フ

物理学第二問題

 圧力ト沸騰点ノ関係及其証明ヲ問フ

化学第一問題

 分子ノ混合ト化合ノ別如何及各其一例ヲ示スベシ

化学第二問題

 炭酸瓦斯ノ製法ヲ問フ

動物学第一問題

 翼手類(蝙蝠類)ノ性質及其最大者ノ産地ヲ説明スベシ

動物学第二問題

 動物分類及其一例ヲ説明スヘシ

植物学第一問題

 根ノ主ナル作用ヲ問フ

植物学第二問題

 禾本科植物ノ効用ヲ問フ









農事修学場

 農事修学場


明治7年(1874年)
4月 内務省勧業寮内藤新宿出張所に農事修学場を設立することを議決.

明治8年(1875年)
10月 農事修学場は駒場野に移設することが議決.内藤新宿は風紀が宜しくないため.

明治9年(1876年)
6月 内務卿大久保利代理通達示で農事修学場入学規則を達す.
10月9日-11日 入学試験実施。農学、49名中20名,獣医学、57名中30名を選抜.予科27名,試業科29名を決定.
 獣医学生徒及第人名  吉村政行 西川勝蔵 牧野■太 吉田禎一 鈴木呉一 白根    荘輔 浅野忠吉 一ノ瀬次郎 遊佐盈作 香田喜房 市来敬太郎 木村芳次郎 岸本雄二 宮邨三郎 土持綱晟 木村竹次郎 青山敬一 大崎久 樋口正達 三浦清吉 瀬谷金治    山下盛治 福山隆盛 山県竹次郎 橘弘典 丹下謙吉 安藤清吉 功力直道 三橋次郎吉 魚住正之輔     

明治10年(1877年)
2月 1日 農事修学場授業開始.内藤新宿の勧業寮農学課農業博物館が仮教場.
10月 農事修学場を農学校とする.

明治11年(1878年)
1月24日 駒場農学校開校式.

2009年4月8日水曜日

陸軍獣医志叢の深谷馬医監の演説と山脇圭吉・家畜伝染病予防衛生史の比較

陸軍獣医志叢第十二号
学会記事
論説
○獣医の古説
 本題は我が深谷陸軍獣医監殿の内国獣医公会に於いて演説せられたる者にして今左に其の大意を筆記す
明治聖代の御徳に浴し図らずも在京各地一百余名の獣医諸君に親しく面陳するを得るは近来未曾有の盛事にして我が老孱の身も為に奮いて一言せざるを得ず元来本邦の文物は何事に寄らず多くは外国より輸入せるものなれば其の始原に遡り西洋古代の事跡を述べ続いて本邦獣医の事に及ぼさんとす           
                         一[枠外]
                         二[枠外]

西洋古代の獣医は其の時代を大別して三段とす第一祈祷第二旧例実験第三学理実験なり往古蛮民は酋長の老者医をなし家僕或は牧夫の長獣医をなすが故に中古迄獣医を賎業として人の避くる処となる其の後僧侶獣肉の検査に兼ねて祈祷の方を以て獣類を治療せり紀元前四百六年より三百十年間の間希臘の末代に医学の始祖と崇むる「イポクラット」氏は人体及び獣躬に医療を施し従前僧侶の祈祷に属する秘密なる医学を看破し専ら実際に従事し病の兆候を明かにし比較病理書を著し医薬は自然の良能を助くるのみにて淡白のものを用いたり紀元後四十年に「コリユメール」氏は十二巻の書を著せども鬼神に関するの説多し然れども疫病獣を隔離し寄生虫病を発見し刺絡,去勢術,断骨に副木を行ひしは古代中の美事なり羅馬「ジヲクレチヤン」帝の時,紀元三百年代(我応神天皇の御宇)動物治療謝儀一定の制度あり以て獣医人員の多きを知るに足る且つ軍隊に始めて獣医を附す今尚ほ古代の病馬厩を存ず当


時蹄鉄の業茲に始まる羅馬の獣医は家畜を治療し加之,縦覧に供する猛獣の保護を担任す第一世「コンスタンタン」帝の時,膳羞に供する肉を検査せん為め所々へ獣医長を置く紀元四百年の頃(我大化前百八十年雄略天皇の時)「アスシルト」氏は第一世「コンスタンタン」帝「サルマツト」国を討伐するとき獣医の職を以て従軍し大功あり同氏は咽喉炎,呼吸障碍病と肺の結核症とを区別し間欠性眼炎,蹄炎,蹄充血,強直症及び先輩の確定せざる諸症を説明し蹄組織の潰瘍「クラッポー」か裂蹄,鼻疽皮疽馬腐敗病炭疽病歟の伝染性たるを識別し之に隔離を命せり当代の世人医を尊び獣医を賎しむを憤り獣医をして他の学者社会と並立せしめたり且つ不開化の時に在りて最も嘆賞すべき処方は温湯を強直症に命し冷水を膣部の捻転症に施し創傷に縫合法を行ひたり
是より本邦獣医の事に移らんとす

今を距る凡そ千百余年前(西洋紀元凡そ七百八十年)我が
去   1400  西暦     780
桓武天皇御宇延暦の昔,肥後の人,硯山[スズリヤマとふり仮名]左近将監平仲国入唐
                  [  ふり仮名なし  ]
して彼国元貞年間大延なる者に就き馬医の業を受け多年留学し帰朝の後,男安国弟子生田
             就きて                     
備中守道義等に伝へ門弟日に加はり諸国に分在す其後六百余年を経て慶長の頃,桑島政近
           立  600             
心海と号する者仲国流伝の末流を浥み実際治療を以て当時に名あり門人最多く自姓を馬医
                   
の流名と定め皆伝卒れば桑島姓を與ふるを例とせり是れ即ち馬医桑島の流祖なり其頃那須
         せば                        
の人,岡本宮内少輔の裔,岡本勘右衛門忠清心海の門に入り肄業の後,流名を受け姓を改
                         多年 
め(徳川幕府馬医桑島氏の祖)師に代て業を続ぐ孫桑島忠直に至り父祖の業を修め且つ調馬

に長ずるの聞あるを以て延宝八年徳川五代将軍綱吉徴て禄百俵を與へ御召御馬預り兼馬医
    [ なし]
に任じ新に麻布市兵衛町に官邸を賜り配下若干を附せらる勤労浅からざるを以て天和元年

六月更に高百俵を加増し世襲二百俵の禄を與へ旗下に列す男忠陳馬術劣等なるや御馬預り

の任を解き馬医に専任せらる永田馬場官厩に鶴見氏馬医の職を執れども馬術に熟達し由て

御馬預りに栄転して久保町官厩に移る文政天保の間,西丸下御厩に都甲斧太郎なる者あり

調馬に馬医を兼任す氏は好て和漢の書に通じ蔵書数千巻晩に蘭学に志す当時切支丹宗の禁

あり故に蘭学に憚りあるの際なるを以て諸人に排斥せられ且つ品行不正の旨を以て遂に御

書物同心に貶せらる其頃落合十郎左衛門徴されて幕府馬医に任じ高百俵を下與し旗下に列

せらる下與市右衛門若林忠蔵稲垣馬司の諸氏,陸続輩出すれども皆漢土伝来の馬療書に基

き師伝来家方の治法を加ふるのみ独り菊池宗太夫は晩に蘭書を学び其治療を為す他の比に

非らず然れども老齢に至り時々精神病を発し遂に非命に陥ると云ふ文久年間予幕府の馬医

に補せられ洋書の獣医に益あるを信じ開成所に於て該書を学びしことあり当時桑島左近の

発意に依り予も共に協力し江戸市在開業獣医を集合し日吉山王社家町福寿院に於て一二の

事を議せんとせしが応ずる者七八名に過ぎず僅かに二十八九年を歴て今日此盛会
        座す  7,8 28,9 経
に遭ふは寔に夢裡の憶なり
.現在陸軍に在職獣医58名.軍馬5,500余頭』

終に臨て尚ほ一言せん即今陸軍々馬全国合せて凡五千五百余頭あり在職獣医五十八名近衛
各師団に獣医長を置かれたり時に臨み兵馬を動すに方りては之に倍するの獣医官を要すべし若し一朝命あらば全国獣医諸君は我が陸軍獣医官の任を奉じ山野に起臥を同くし相倶に職を執るも計るべからず然らば則来会諸君は朝野の別なく各其所在に於て常に陸軍獣医官と交通し互に知識を交換し業の進歩を計んことを是れ周三が切に諸君に希望する所なり
(喝采)
陸軍獣医志叢の深谷馬医監の演説と山脇圭吉・家畜伝染病予防衛生史を比較して見た.文字の変更はあるが内容に関して改変は無い.深谷は文久年間幕府の馬医に補せられ・・・とあり桑島流とは関係が無い.

2009年4月7日火曜日

陸軍獣医志叢第十二号

陸軍獣医志叢第十二号
学会記事[飾り枠]
論説[飾り枠]
○獣医の古説
 本題は我が深谷陸軍獣医監殿の内国獣医公会に於いて演説せられたる者にして今左に其の大意を筆記す
明治聖代の御徳に浴し図らずも在京各地一百余名の獣医諸君に親しく面陳するを得るは近来未曾有の盛事にして我が老孱の身も為に奮いて一言せざるを得ず元来本邦の文物は何事に寄らず多くは外国より輸入せるものなれば其の始原に遡り西洋古代の事跡を述べ続いて本邦獣医の事に及ぼさんとす           
                         一[枠外]
                         二[枠外]

西洋古代の獣医は其の時代を大別して三段とす第一祈祷第二旧例実験第三学理実験なり往古蛮民は酋長の老者医をなし家僕或は牧夫の長獣医をなすが故に中古迄獣医を賎業として人の避くる処となる其の後僧侶獣肉の検査に兼ねて祈祷の方を以て獣類を治療せり紀元前四百六年より三百十年間の間希臘の末代に医学の始祖と崇むる「イポクラット」氏は人体及び獣躬に医療を施し従前僧侶の祈祷に属する秘密なる医学を看破し専ら実際に従事し病の兆候を明かにし比較病理書を著し医薬は自然の良能を助くるのみにて淡白のものを用いたり紀元後四十年に「コリユメール」氏は十二巻の書を著せども鬼神に関するの説多し然れども疫病獣を隔離し寄生虫病を発見し刺絡,去勢術,断骨に副木を行ひしは古代中の美事なり羅馬「ジヲクレチヤン」帝の時,紀元三百年代(我応神天皇の御宇)動物治療謝儀一定の制度あり以て獣医人員の多きを知るに足る且つ軍隊に始めて獣医を附す今尚ほ古代の病馬厩を存ず当


時蹄鉄の業茲に始まる羅馬の獣医は家畜を治療し加之,縦覧に供する猛獣の保護を担任す第一世「コンスタンタン」帝の時,膳羞に供する肉を検査せん為め所々へ獣医長を置く紀元四百年の頃(我大化前百八十年雄略天皇の時)「アスシルト」氏は第一世「コンスタンタン」帝「サルマツト」国を討伐するとき獣医の職を以て従軍し大功あり同氏は咽喉炎,呼吸障碍病と肺の結核症とを区別し間欠性眼炎,蹄炎,蹄充血,強直症及び先輩の確定せざる諸症を説明し蹄組織の潰瘍「クラッポー」か裂蹄,鼻疽皮疽馬腐敗病炭疽病歟の伝染性たるを識別し之に隔離を命せり当代の世人医を尊び獣医を賎しむを憤り獣医をして他の学者社会と並立せしめたり且つ不開化の時に在りて最も嘆賞すべき処方は温湯を強直症に命し冷水を膣部の捻転症に施し創傷に縫合法を行ひたり
是より本邦獣医の事に移らんとす今を距る凡そ千百余年前(西洋紀元凡そ七百八十年)我が桓武天皇御宇延暦の昔,肥後の人,硯山[スズリヤマとふり仮名]左近将監平仲国入唐
                
                         三[枠外]
                         四[枠外]

して彼国元貞年間大延なる者に就き馬医の業を受け多年留学し帰朝の後,男安国弟子生田備中守道義等に伝へ門弟日に加はり諸国に分在す其後六百余年を経て慶長の頃,桑島政近心海と号する者仲国流伝の末流を浥み実際治療を以て当時に名あり門人最多く自姓を馬医の流名と定め皆伝卒れば桑島姓を與ふるを例とせり是れ即ち馬医桑島の流祖なり其頃那須の人,岡本宮内少輔の裔,岡本勘右衛門忠清心海の門に入り肄業の後,流名を受け姓を改め(徳川幕府馬医桑島氏の祖)師に代て業を続ぐ孫桑島忠直に至り父祖の業を修め且つ調馬に長ずるの聞あるを以て延宝八年徳川五代将軍綱吉徴て禄百俵を與へ御召御馬預り兼馬医に任じ新に麻布市兵衛町に官邸を賜り配下若干を附せらる勤労浅からざるを以て天和元年六月更に高百俵を加増し世襲二百俵の禄を與へ旗下に列す男忠陳馬術劣等なるや御馬預りの任を解き馬医に専任せらる永田馬場官厩に鶴見氏馬医の職を執れども馬術に


熟達し由て御馬預りに栄転して久保町官厩に移る文政天保の間,西丸下御厩に都甲斧太郎なる者あり調馬に馬医を兼任す氏は好て和漢の書に通じ蔵書数千巻晩に蘭学に志す当時切支丹宗の禁あり故に蘭学に憚りあるの際なるを以て諸人に排斥せられ且つ品行不正の旨を以て遂に御書物同心に貶せらる其頃落合十郎左衛門徴されて幕府馬医に任じ高百俵を下與し旗下に列せらる下與市右衛門若林忠蔵稲垣馬司の諸氏,陸続輩出すれども皆漢土伝来の馬療書に基き師伝来家方の治法を加ふるのみ独り菊池宗太夫は晩に蘭書を学び其治療を為す他の比に非らず然れども老齢に至り時々精神病を発し遂に非命に陥ると云ふ文久年間予幕府の馬医に補せられ洋書の獣医に益あるを信じ開成所に於て該書を学びしことあり当時桑島左近の発意に依り予も共に協力し江戸市在開業獣医を集合し日吉山王社家町福寿院に於て一二の事を議せんとせしが応ずる者七八名に過ぎず僅かに二十八九年を歴て今日此盛会

                       五[枠外]
                       六[枠外]

に遭ふは寔に夢裡の憶なり
終に臨て尚ほ一言せん即今陸軍々馬全国合せて凡五千五百余頭あり在職獣医五十八名近衛各師団に獣医長を置かれたり時に臨み兵馬を動すに方りては之に倍するの獣医官を要すべし若し一朝命あらば全国獣医諸君は我が陸軍獣医官の任を奉じ山野に起臥を同くし相倶に職を執るも計るべからず然らば則来会諸君は朝野の別なく各其所在に於て常に陸軍獣医官と交通し互に知識を交換し業の進歩を計んことを是れ周三が切に諸君に希望する所なり
(喝采)

四辺子持ち枠,大きさ16.6cm×10.8cm,行三十三字,丁(頁仕立て)十二行

2009年4月2日木曜日

山口県獣医会規約

  山口県獣医会規約
   明治廿四年
   四月廿二日筆記ス

 山口県獣医会規約

 第一章  総則

 第一條 本会ハ山口県獣医会ト称ス
 第二條 本会ハ吉敷郡山口ニ設置ス
     当分ノ内吉敷郡吉敷村中村資一方ニ
     設ク
 第三條 此規約ハ県庁ノ認可ヲ得テ履行スルモノナ
     レハ自今改正追加ヲ要スル事項在ル時ハ亦此
     手続ヲナス可シ

 第二章 目的

 第四條 本会ハ県内居住ノ獣医団結シテ其学術治療
     ノ進歩改良及人畜衛生ノ普及を図ルカ為メニ設
     クルモノトス

 第三章 会員

 第五條 会員ハ本県居住ノ獣医ヲ以テ組織ス
     但シ斯道ニ熱心ナルモノハ会員二名以上ノ諾介ニヨリ
     準会員タル事ヲ得ル 
 第六條 本会ノ旨義ヲ翼讃シ本会ニ裨益アルモノハ之
     ヲ推撰シテ特別会員トナス事アル可シ
 第七條 会員タラント欲スルモノハ幹事ニ通知シ会員簿ニ記名捺
     印シ此規約ヲ団守ス可シ
 第八條 本会ノ名誉ヲ毀損シ若クハ数々此規約ニ
     背戻スルモノハ協議ノ上之レヲ退会セシム
 第九條 会員中転居或ハ一ケ月以上ノ旅行ヲナス時ハ直ニ本
     会ニ通知ス可シ
 第十條 退会セントスルモノハ其事由ヲ詳記シ之レヲ幹事ニ請求
     スベシ
     但此場合ニ於テハ幹事ハ其件可否ヲ会議ニ諮ル
     モノトス
 第十一條 正当ノ事由ナクシテ退会スルヲ得ス

 第四章 集会

 第十二條 集会ヲ分ツテ総集会及部会ノ二種トナス総集会ハ総
      会員ヲ以テ組織シ部会員ヲ以テ組織ス
 第十三條 総集会ハ一ケ年一回部会ハ一ケ年四回開会スルモ
      ノトス
      但シ開会期日ハ総集会ニ在リテハ之レヲ県庁ニ
      部会ニ在リテハ之ヲ所轄郡役所ニ予メ報告スルモノ
      トス
 第十四條 不得止事故アリテ集会ニ欠席セントスルモノハ予メ之レヲ届
      出ヘシ
 第十五條 各部会ニ於テ決シ難キ事項ハ之レヲ総集会ニ提
      出ス可シ 
 第十六條 前条ノ他会員三名以上ノ請求アル時ハ部会
      ヲ十五名以上若クハ二部会以上ノ請求アル時ハ総
      集会ヲ臨時ニ開会スルヲ得
 第十七條 総集会及部会ニ於テ左事項ヲ講気討議ス
     一、獣医奥義ヲ改良スル事
     二、獣医術ニ関スル内外ノ新説治験及各自ノ実
       験其他総テ家畜ノ治療衛生ニ関之諸件
     三、屠畜場搾乳ノ臨検管理及家畜伝
       染病ノ如キ総テ家畜ノ公衆衛生ニ関係タ及之諸件
     四、風土病伝染病ノ原因探求及其ノ予防法治
       療法ニ係カル事件
     五、牧畜事業に関スル学術実験等総テ
       畜産ノ繁殖改良ニ係カハル諸件
 第十八條 県庁及郡役所ヨリノ諮詢及会員中ヨリ
      提出ノ問題ハ勿論総テ前条ニ記載スル事項
      ハ会員外ノ質問ニ係ルモノト雖モ討究論議
      スベシ

 第五章 役員

 第十九條  本会ニハ左ノ役員ヲ置ク
    会長   一名
    幹事   一名
    書記   一名
 第二十條  役員ハ投票ヲ以テ之レヲ定ム但書記ハ会
       長ノ特撰トス
 第二十一條 会長ハ一切ノ事務ヲ総轄シ議事アリテハ之
       レカ議長トナル
       但シ特別会員アル時ハ之レヲ推挙シテ議長職務ヲ
       執ラシム
 第二十二條 幹事ハ会長ノ助ケ一切ノ事務ヲ処理シ○○ヒ
       会計事務ヲ担任ス会長事故アル時ハ之
       レカ代理タルヲ得ル
 第二十三條 書記ハ議事筆記及雑務ヲ担任ス 
 第二十四條 役員ノ任期ハ二年トス但薦再撰スルモ妨ナシ

 第六章 積立金及会費
 
 第二十五條 会員タラントスルモノハ其身分ヲ保証スル為メ入会ノ際
       金三円ヲ積立爾后年々壱円弐拾銭宛総額弐
       拾円ニ満ルマテ積立ヘシ但シ積立金ハ各部会於
       テ之レヲ保管ス
 第二十六條 積立金ハ貯金トナシ増殖ヲ計ル可シ
 第二十七條 積立金ハ退会又ハ死亡ノ際ハ之レヲ返付ス可シ
       但シ第八条及第十一条ニ該当スルモノハ返付セサルモノトスル
 第二十八條 会員ハ出席ノ有無ヲ問ハス毎回金拾銭宛ヲ
       支出シ会費ニ充ツヘシ
 第二十九條 費用ノ収支決算次年ノ総集会ニ於テ之レヲ報
       告スルモノトス
 第三十條  特別会員ハ積金ヲナシ及会費ヲ支出スルヲ要セス

 第七章   準会員

 第三十一條 準会員ハ特ニ設ケタル条項ノ外本規約ニ服従ス
       ルノ義務アリトス但シ積立金ヲナスヲ要セス
 第三十二條 準会員ハ会員同等ノ権利ヲ有スト雖モ選挙
       権及被選挙権を有セス又議決ノ数ニ入ルヲ得ス
 第三十三條 本会中ニ左ノ部会ヲ置ク
      第一部会 (大島郡玖珂郡熊毛郡)
      第二部会 (都膿郡佐波郡)
      第三部会 (吉敷郡美祢郡阿武郡)
      第四部会 (厚狭郡)
      第五部会(豊浦郡大津郡赤間関市)
 第三十四條 各部会ニ部長一名ヲ置キ一切ノ事務
       ヲ処理セシム
       選挙ハ第二十條第二十四條ノ例ニ拠リ選定
       ノ上ハ之レヲ本会ニ報告スベシ
 第三十五條 各部会ニ於テ此規約ニ本キ更ラニ周密
       規約ヲ設クルヲ得ルヲ得ル但シ此場合ニ於テ
       本会会長ヲ経テ第三條ノ手続ヲナスヘシ
 第三十六條 各部会ニ於テ協議むし毎月金拾銭以下
       ノ会費ヲ各員ヨリ徴収スルヲ得ル
 第九章 雑則

 第三十七條 部会ノ開会時日出席人名及議事
       提要ハ其都度之レヲ郡役所及本会報
       告スルモノトス
 第三十八條 総集会ノ開会時日出席人名及議事
       提要並ニ各部会ノ概況ハ毎年一回之レヲ県庁ニ
       報告スルモノトス

 第十章 謝儀規定

 第三十九條 薬価及手術料等ハ左ノ規定ニ拠ルベシ
      一、馬灸料     一ケ年極メ
        此ハ郡村ノ習慣ニ由リ米三升乃至五升
        若クハ金十五銭乃至四十銭ノ範囲内ヲ
        以テ相定ムルモノトス
       薬価
        但シ牛馬ハ左表ノ金額羊豚及山羊
        ハ三分ノ二犬猫ハ二分ノ一家兎及家
        禽ハ三分ノ一トス 
   内服薬    一日量     拾弐銭
   頓服薬    一回量     拾銭以上弐拾銭以下
   点眼水    拾五瓦ニ付   三銭以上拾銭以下
   外用水剤   二百瓦ニ付   五銭以上拾五銭以下
   膏薬     三十瓦ニ付   五銭以上拾銭以下
   油剤及擦剤  百瓦ニ付    拾銭以上弐拾銭以下
   皮下注射薬  一回量     拾五銭以上弐拾銭以下
   吸入薬    一日量     拾銭以上弐十五銭以下
   潅腸薬    一回量     五銭以上弐拾銭以下
  
  一外科手術  
    特別手術    三拾銭以上壱円以下
    産科手術    五拾銭以上三円以下
  
  一薬剤入器具及編帯ガーゼ等原価の二
  一往診料診察料及小手術等ハ道路ノ遠
   近手術難易ニヨリ応分ノ謝儀ヲ受クベシ
  一診断書調製料ハ金五銭トス

『元亨療馬集』の出典古典籍

『元亨療馬集』七十二症病形図論歌治法出典古典籍は三十七である.
療驥方4 発蒙論8 玉照集4 淵源論2 秦襄王論 纂要経 卞宝論 孫陽集 李林経 2 安驥集5 八十一問 瘡黄論2 坐観経 岐伯対證2 穆公論2 造父経3 明験方 岐伯論 造父難経 王御車集 胡卜経3 金朝論5 御車集3 趙氏集 卞氏論 起臥論2 賈公集 田猟集 師皇秘集 伯楽新書 発蒙纂要 元朝集 師皇集2 通玄論2 岐伯治対症 李陵坐観経 伯楽遺書