明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2012年11月30日金曜日

獣医史学関連所蔵資料目録


所蔵資料目録

資料一
昭和二十四年獣医畜産新報
昭和十七年獣医師等職業能力申告令に就いて
最高司令部 屠畜検査規則
茶殻馬糧化報告運動
昭和十二年 結核予防国民運動
論文 牛療治書々写本の系譜
第六改正 日本薬局方沿革略記
日本獣医公衆衛生史一部分
中村獣医学史一部分
教育に関する勅語
ナイラドール
広島の昔の地図
江戸名所図会 いわし屋
斎藤弘 文芸春秋 犬の本
牛馬の藁沓
三好竹太郎資料
江戸幕府役職一覧
神西 軍服関係手紙・資料
複写 応用獣医学雑誌創刊号表紙

資料二
勝山書簡 新山莊輔
部落の歴史
農務顛末第五巻
新編集成馬医方・牛医方
諸家系譜
職人盡絵
日本人と靴
陸軍服制図例
仁田直 たち病
元亨療馬集引用書
練乳作りに燃えた明治の山口県人
牛疫予防法
食獣食肉検査行李第二号
医者の投薬台帳

資料三
獣医内科学教科書
医事新聞 フィラリア記事
狂犬病統計資料
家畜医範表紙の写真
世界獣医列伝
薬品名
馬針・伯楽鋏
馬医養成史
屠畜建言書
リンデルペスト予防法
昭和二十三年獣医協会雑誌
馬医と馬乗り
昔のカルテ用紙
岸文書
家畜医範表紙下現物
牛科提要富士川本写
獣医免許史
仮名安驥集序文の一部写
謝成挟 中国養馬史
中村 獣医学史

資料四
満州獣医畜産雑誌創刊号
屠畜検査GHQ
戦前の獣医師会々報表紙
第四回獣医師試験
エーテル麻酔器解説及使用法
牛疫 中村論文
農文協 出版ダイジェスト
家畜医範の折込広告
吉隆号の銅像
暁鐘成 皓の碑文
医事新聞青山敬一フィラリア
X線機械説明書
家畜衛生協会々員名簿
一巻一号表紙
中村洋吉獣医学史
本間家文書
日本農学五十年史
鋳方 日本古代家畜史
馬・馬医メモ

資料五
日本における馬と牛の文化
勝山 西洋獣医学の伝来と普及
疱瘡の瓦版
牛の目利き 博労
診療鎖談 須藤義衛門
明治期家畜衛生史
屠場文化
厩方役人
税制 兵役免除規定
江藤論文
岸 中国牧畜資料集
明石城武家屋敷跡
京都書林行事上組済帳標目
伝聞本朝牛乳事始
日ポ辞典ナイラ
馬経大全狩野文庫
時重論文狂犬病
薬物名表
昭和十七年 牛券


資料六
第二学年理科筆記哺乳類
防長の牧
粉河寺縁起絵巻・馬資料
馬古代史
信濃の伯楽
日本馬政史
大正末期の獣医
福浦家畜検疫所
長吏法師考
遣唐使
牛科撮要
昭和十五年 中等程度獣医復活
大正十四年日本獣医数
山大五十年史獣医学科
旧学位令獣医学博士
所蔵教科書リスト
差別関係記録
伝聞本朝牛乳事始
ネオ・ネオ・アーセミン
獣医の社会的地位
猿民話
我家に伝わる馬糞石について
大村益次郎
東京府獣医師会第一回総会
目薬広告
日本犬
発掘鞍記事
向津具中牛馬守護神由緒記
下関福浦家畜検疫所
太政官日誌リンデルペスト
勝島 獣医沿革一斑
リンデルペスト予防法
朝鮮牛関係資料
小川流馬道
牛痘瓦版
馬医草紙
弾左衛門
山口県達令 獣医・畜産
農務顛末
長崎年表

資料七
津田 家畜医範生理学
白石寛吾の論説
三好竹太郎
牛療治書々写本の系譜
雑資料
医者の牛投薬
伝貧血球計算表
和牛子牛生産
華北肉用家畜報告
臨床獣医新報
日本古代家畜史の研究馬
同上 牛
蔵書目録
牛療治書々写本の系譜
近代獣医免状史
伯楽関係資料
岸 伯楽考
朝鮮に於ける牛医
獣医関係絵巻に関する研究
獣医関係図書の歴史


2012年11月22日木曜日

フッ素年代測定

獣骨には元々フッ素は無い.地中てウスイ地下水から徐々にフッ素が沈着して行くから,そのフッ素量を測定すれば同じ場所から出土した骨の新・古を判定する事が出来る.現在の考古学では,理化学的な年代測定の無い出土品は研究の対象としなくなって来ている.考古学における牛馬の普及は五世紀中頃とされている.

解馬新書

平成二十二年麻布大学附属学術情報センター「獣医資料館寄贈選定図書目録」白井紅白分には「解馬新書」なし.

2012年11月17日土曜日

橘猪弼と平仲国


書名       編・著者     刊年     橘猪弼 平仲国 推古三年 延暦23
日本書紀     舎人親王    養老四年     ー   ー   ○    ー
日本後紀     勅撰      承和七年     ー   ー   ー    ○
桑嶋家伝     桑嶋実綱    元和六年     ー   ○   ー    ー
解馬新書     菊池東水    嘉永四年     ○   ー   ー    ー
陸軍獣医志叢   深谷周三    明治二十三年   ー   ○   ー    △
日本馬政史    帝国競馬会   昭和三年     ー   ー   ー    ー
獣医学発達史   江本修     昭和十四年    ○   ○   ○    ○
日本獣医学史   白井恒三郎   昭和十九年         同上
日本獣医師会雑誌 日本獣医師会  昭和三十六年        同上  
日本獣医学教育史 篠永紫門    昭和四十七年        同上
獣医学史     中村洋吉    1980年          同上
日本馬病史    松尾信一    平成十七年         同上

2012年11月16日金曜日

2012年11月11日日曜日

日本獣医学教育史の資料

日本獣医学教育史は昭和四十七年十二月一日発行.著者は篠永紫門.資料に江本修「日本獣医学発達史」と白井恒三郎「日本獣医学史」を掲げる.この二書はいずれも個人の著作で,根拠不明の太子流・橘猪弼と仲国流・肥後の硯山を採用している.太子流・橘猪弼の捏造者は元徳川幕府の馬医・菊池東水で,仲国流・肥後の硯山の捏造者も元徳川幕府馬医の深谷周三である.深谷周三は明治二十三年に仲国流伝説を捏造するが,昭和三年の「日本馬政史」では松平公らに化けの皮を剥がされたと見え,偽説はいずれも不採用となっている.

2012年11月9日金曜日

日本獣医学史を検索していると・・・


行事等報告:社団法人日本獣医師会創立60周年記念行事の開催

nichiju.lin.gr.jp/mag/06202/a9_2.htm 昭和十九年に日本獣医師会が発行したとある.

2012年10月28日日曜日

中国農学書録・十三・畜牧獣医



「中国農学書録」中華民国七十年明文書局(台北市)発行

2012年8月30日木曜日

2012年8月24日金曜日

山口県下士族と平民の沿革

長州藩の階級区分として 華族・国主,御末家.士族・御一門,家老,寄組,八組,遠近,無給,御徒歩,三十人,陪臣.平民・町人百姓,茶煎非人穢多がある.この階級区分は明治元年の版籍奉還時に諸士は士族,足軽その他組の者は卒族,百姓町人は平民となるが,穢多等の身分はそのままとされる.馬医は士族である.

2012年8月16日木曜日

猫の腎臓を入替ふ

昭和十年七月二十日発行の「応用獣医学雑誌」に『猫の腎臓を入替ふ』との記事がある.明治四十二年の通俗雑誌からの転載で,アメリカのカーネーギ学術研究所のカール(仏人・カレル)博士の猫の腎臓移植を紹介している.博士が移植を始めたのはその四年前の1905年の事である

2012年8月13日月曜日

有隣堂

京橋区南伝馬町二丁目十三番は現在の中央区京橋二丁目2番10号.隣の十二番で検索すると太陽生命ビルの建物がヒットする.画面に右端に堂の文字が読み取れるから,間違いない.印刷は神田区南乗物町十四番地有隣堂活版所で行なっている.有隣堂は明治十四年に十歳の田山花袋が丁稚奉公したと余録にあった.

石黒秀雄略歴

石黒秀雄 1909-2000年 東京帝国大学獣医実科卒,東京慈恵医科大学,東京高等農林学校,昭和15年宇都宮高等農林学校を経て昭和26年より山口大学農学部教授.鹿児島農林専門学校に勤務した記録は無い.柴内大典談とあるから,元山口大学農学部獣医学科家畜内科学教授の勘違いか?柴内教授は東大銀時計卒業であったが,実際の授業は非常勤講師の藤村忠明先生が担当した.

2012年8月12日日曜日

北島三郎・台湾情報

北島三郎は屏東農業学校の教師とある.「日本獣医史学雑誌」第42号より.

2012年8月11日土曜日

北島三郎は満州帰り?

「日本獣医学人名事典」には山口大学教授・鹿児島大学教授で台湾犀東農業学校教授とある.台湾の犀東は屏東(へいとう)の誤り.現在の国立屏東科技大学で1924年開校の高雄州立屏東農業補習学校のこと.1924-1945年まで校長は日本人.「現代の獣医」に大正時代の台湾の畜産事情の報告があるが,台湾の畜産は豚と家禽が中心で牛馬は少ない.

2012年8月5日日曜日

昭和33年刊「防長本草学及生物学史」

著者は「日野巌」略歴に明治三十一年九月一日午後十時出生とある.大正十二年東京帝国大学農学部農学科卒とある.その後宮崎高等農林学校教授を経て印度支那に赴任.昭和二十一年四月二十五日復員.同年八月三十一日山口獣医畜産専門学校講師.前掲山縣論文では佐賀閥の副頭目を満州帰りの北島三郎とするが,日野巌も似たような輩.

2012年8月4日土曜日

山口獣医学雑誌第38号






山口県立山口農業高等学校百年史428-435頁に「第六節 農業専門学校設立問題」に詳しい記述がある.

2012年7月17日火曜日

日葡辞書の家猪・家畜

牛,馬,犬などは記述されているが,家畜と言う単語は無い.しかし,家猪はあり野猪との違いが記載されている.豆腐好きの大村益次郎が屠って進物した家猪とは野猪を家畜化したものか?現在猪は家畜・豚ではないために,食肉化するためにと畜場を通す必要は無い.

2012年7月12日木曜日

2012年5月21日月曜日

2012年5月11日金曜日

「大江戸飼い鳥草紙」細川博昭・吉川弘文館196-197p


犬の飼育書
さまざまな動物の飼育書が作られていた江戸時代には、もちろん犬に関する飼育青も存在していた。矮狗に代表される小型の犬種については『狆飼養書』という専門の飼育書もあったが、当時の犬の飼育書の中で、特に注目したいのが犬全般についての飼い方を記した『犬狗養畜伝』という小冊子の存在である。
 『犬狗養畜伝』は、犬を飼う人間の心構えから始まり、犬の病気や怪我の手当ての方法、与える薬のこと、また犬に噛まれた人間の治療方法などが順序立ててまとめられており、きわめて実用的な本という印象を受ける。とりわけ初めて犬を飼う人間には役に立ちそうな本である。記述には『和漢三才図会』からの借り物も多く見られるが、他の書物などから得られた情報もあり、そうしたさまざまな情報に私見も交えて、上手く編集がしてある。
 だが、この本の最大の特徴は内容もさることながら、その製作過程および配布方法にあった。実はこの本は、通常の出版物ではなかったのだ。『犬狗養畜伝』は、犬の薬などを販売していた本の著者が宣伝および販売促進のために作った、今でいう自費出版本だったのである.この本の著者である浪速の商人、暁鐘成は著述家でもあり、さまざまな分野の本を四十冊近くも出版している人物だった。本を書く技術を十分に持っていた著者が、その技術を商いにも生かそうと考え、作り上げた本だったのである。
 商品を買ってもらいたい相手に対し、有益な周辺情報と、どのような場合においてこの商品が有効なのかをまとめた小冊子を作って渡すというのは、きわめて現代的な商売方法である。この冊子に、浪速の商魂がこの時代にも強く息づいていたという一つの証拠を見た気がする。
 ところで、当時の大坂、広くは日本では、こういう本を作って販売促進をするに見合うだけの犬が飼われていたのだろうか。
 答えは、イエス、である。
 『犬狗養畜伝』 (『日本農書全集』第六十巻、農山漁村文化協会、一九九六年) の解題において分析を行なつた白水完児氏は、元禄時代の江戸の捨て犬収容所の収容頭数から、江戸および大坂では飼い犬に野良犬の数を加えると、そこに住む庶民の数に匹敵するほどの犬がいたと推測している。当時の庶民の数は江戸で約五十万人、大坂で三十五万人前後と考えられている。そこまで犬の数が多かったかどうかはわからないが、さまざまな状況証拠から、放し飼いにされ、複数の人間によって共同で飼育されていた犬を含めると、江戸で十五万頭以上、大坂で十万頭前後かそれ以上の犬が飼われていたのはどうやら間違いなさそうである。

2012年4月23日月曜日

同窓会名簿の時重初熊

山口師範学校下等師範科を明治十年五月二十四日卒業.第三期.同期は二十二人.

2012年4月20日金曜日

日本農書全集第六十巻

第六十巻は畜産・獣医.「鶉書」「犬狗養畜伝」「厩作附飼方之次第」「牛書」「安西流馬医巻物」「万病馬療鍼灸撮要」「解馬新書」を収載.1996年農文協発行で定価7000円

2012年3月17日土曜日

農業学校第二部獣医科のこと

大正15年4月法律第53号「獣医師法」を制定.大学で獣医学を修めた学士,東京帝国大学農学部獣医学実科卒業者,官立・公立の専門学校で獣医学を修めた者に獣医師免許状を付与.
但し,経過措置として十二年間,昭和十三年三月の卒業生までは旧制度の無試験免許状を付与する.
山口県立農学校では昭和十一年三月に獣医畜産科を獣医科・畜産科に分離し,獣医科を廃止する.
昭和十四年四月,獣医師試験規則を制定し,農業学校に第二部獣医科を設置.獣医師国家試験の受験が可能となる.山口県立農学校も第二部獣医科を設置して学生を募集.更に昭和十五年四月「獣医師法等の臨時特例に関する法律」で十年間の獣医手制度を実施した.
昭和十八年一月・勅令第三九号を以て「専門学校令」を改正.同年十二月,山口県は第二部獣医科を専門学校として昇格設置を請求し,昭和十九年一月に『山口高等獣医学校』が開設された.この学校には四名の陸軍給費委託学生が居り,この内三名は山口の第二部獣医科の卒業生で一名は水原高等農林の卒業であった・・・らしい.翌年の三月二十九日,『山口獣医専門学校』へ改称.やがて敗戦.昭和二十三年十二月十五日下関市長府に移転し,山口大学農学部の母体となる.

2012年2月13日月曜日

家畜医範の折込広告

折込広告は洋紙に印刷されている.明治二十二年内に解剖学の三巻,産科学の一巻が刊行されて全備となると記されている.

家畜医範の折込広告

2012年1月8日日曜日

平凡社ライブラリー744『和本入門』

最近は千円を越える書物は古本屋で探すか,図書館で読むことにしている.退職の時,書物の処分に苦労して,現在では本当に必要な書物は蜜柑箱で三ー四個になってしまっている.それでも,この手の本を見つけると,むらむらっとして,大事なお年玉をくずして,千四百円も払ってしまうから,本好きもタバコと同じ中毒の一種であろう.文庫本で約三百ページ,小一時間のささやかな楽しみ.既に読んだ本のおさらいであるから,特に新しいことは出てこない.ただ,びっくりしたのは177pの『本の広告で出版時期を想定』で,自分でやった西村載文堂の馬経大全の刊年推定と全く同じ手法を著者がやっているのに驚いた.診療や研究の第一線から退き,昔の論文をさまざまに読み直して見ると,新しく入手した資料等など加筆・記録しておかねばと思うことが夥しい.想えば,岸師匠は三年間の年金生活で亡くなられた.

2012年1月1日日曜日

品川弥二郎と時重初熊のつながり

勧農局長・品川弥二郎は明治十四年二月二十八日付けで駒場農学校植物病理学科を廃し三月六日に生徒二十名を退校処分にするが,時重初熊のみ三月八日に普通農学科に入学を許可,更に十五年二月に獣医学科に入学している.この事件がなければ今日の日本の獣医学の礎は築かれなかった.植物病理学科廃止の顛末は駒場農学校等史料・安藤円秀:昭和四十一年に詳しい.

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