明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2012年8月11日土曜日

北島三郎は満州帰り?

「日本獣医学人名事典」には山口大学教授・鹿児島大学教授で台湾犀東農業学校教授とある.台湾の犀東は屏東(へいとう)の誤り.現在の国立屏東科技大学で1924年開校の高雄州立屏東農業補習学校のこと.1924-1945年まで校長は日本人.「現代の獣医」に大正時代の台湾の畜産事情の報告があるが,台湾の畜産は豚と家禽が中心で牛馬は少ない.

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