明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2012年8月13日月曜日

有隣堂

京橋区南伝馬町二丁目十三番は現在の中央区京橋二丁目2番10号.隣の十二番で検索すると太陽生命ビルの建物がヒットする.画面に右端に堂の文字が読み取れるから,間違いない.印刷は神田区南乗物町十四番地有隣堂活版所で行なっている.有隣堂は明治十四年に十歳の田山花袋が丁稚奉公したと余録にあった.

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