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『 家 畜 醫 範 』 表 紙 の 下 張 り
はじめに
『家畜醫範』は農商務省農務局が作った「文明開化」時代の獣医学の教科書です。それまでは親方が弟子へ秘伝で伝えた獣医術が、西洋式の農学校で教科書を使って教育する方法に移った頃に作られたものです。既に本会の雑誌35号の『研究ノート』で『生理学』の巻が内容とともに『木版刷り和装本・・・292頁・・・』と紹介されており、持っておられる会員も数多いと思います。
さて、今回縁あって初心な『家畜醫範』全16冊揃いを入手しました。元の持ち主は山口県農学校獣医生・三好竹太郎が明治二十三年から四年に使った教科書で、出入りの古物商が勝手に蔵から持ち出して売り払い、古物商の手を転々として最後に熊本の神西先生から私の手に渡ったと言う、由緒来歴の正しいものであります。しかし、熊本の神西先生の所で水害にあったため、かなりの傷みがありました。
文化財の保存は原装のままを原則としますが、書誌学の世界では和漢の線装書籍に限り虫食い・糸切れなど閲覧に障害がある場合は、例外的に改装する事がすすめられています。始めは糸・訂綫の取り替えだけのつもりだったのですが、題箋や包角などもかなり傷んでいるので改装修理の手術をやってしまいました。
過去にいくつかの例があるように、四畳半の襖の下張りとかキャンバスの下地には貴重な作品や記録が隠されている事があります。この手術で一体何が出てきたか・・・これは一番最後のお楽しみにとっておいて、まずは『家畜醫範』の説明から入らせて頂きます。
Ⅰ 書物の体裁
写真に全16巻揃いの様子を示しました。有隣堂 穴山篤太郎の広告には『家畜醫範』『大判和製全十六冊二千百枚・七円二十五銭』とあります。表紙は厚手の紙で型押しがあり、表に茄紺顔料(染料を用いた染め紙ではない)の着色が施してあります。訂綫は白の絹糸、包角も裏打ちした白の絹布が用いられていました。いずれも出版のさかんになった近世中期以降の線装本の最も標準的な仕様です。表紙の裏紙は薄手着色の洋紙でここに書名・巻・版権者・校閲者・纂著者の名が整版で印刷されています。さらに、この表紙裏紙の裏打ちに秘密の紙がありました。後で見せますので楽しみにしておいて下さい。
『家畜醫範』の大きさは縦が七寸五分で横五寸、袋綴じを開くと紙の大きさは縦七寸五分に横が一尺丁度となります。江戸時代の出版物には美濃判が最も一般的と言われていますが、この大きさは木版印刷用半紙判(縦八寸・横一尺一寸)を二つ折にして五分の化粧断ちを施した寸法です。従ってこの書物は『大判』ではなく『半紙本』となります。
なお、現在市販されている書道用の半紙も同一の大きさで、これを二つ折にして綴じると、『家畜醫範』より一寸大きい昔の『菊判』と呼ばれる書物になります。
全巻揃いでの重さは3.45kg、軽いものは150gで一番厚い『内科学』巻3でも310gです。和紙は軽くて丈夫と言われていますが、『内科学』巻3とほとんど同じ大きさ厚さのパルプ紙洋紙本『病馬治験録』(陸軍獣医学校編・有隣堂発行)の目方は620頁で750gもあります。
当時の授業科目と授業時間から推定して、獣医生徒が学校に持参する教科書は3~4冊で1kg未満、たとえ全巻を風呂敷に包んで持ち歩いても、新生児ほどの重さで若者には全く苦にならない荷物です。
『家畜醫範』の書誌学的な体裁に移りましょう。匡廓4辺片子持枠、五寸×七寸六分 (151×230mm)、版芯魚尾、半葉10行で行20字です。気が付かれたと思いますが、これは今でも使われている四百字原稿用紙と同じ書式です。
校閲は ヨハ子ス、ルードウ井ヒ、ヤンソン先生で校訂は浅井重です。巻壱に半葉7行、行15字、白文の農務局長・駒場農学校長岩山敬義序文3丁があります。次いで凡例が2丁。この部分に『家畜醫範』の発刊意図が述べられており、さらに総目次が7丁添えられています。
各巻の纂著者および丁立てを書き出してみました。価格は別の本の公告で調べたもので、
購入時のものとは違うかもしれません。
巻 纂著者 価格
銭
1 解剖学 田中宏 例言1丁 目次9丁 本文144丁 60
2 〃 目次3丁 本文103丁 37
3 〃 目次7丁 本文129丁 48
4 生理学 新山壮輔・時重初熊 例言1丁 目次3丁 本文105丁 37
5 〃 目次2丁 本文 76丁 27
6 〃 目次2丁 本文111丁 40
7 薬物学 西川勝藏 例言1丁 目次4丁 本文114丁 40
8 〃 目次9丁 本文168丁 60
9 〃 目次8丁 本文137丁 50
10 内科学 勝島仙之助 例言1丁 目次4丁 本文133丁 47
11 〃 目次3丁 本文128丁 45
12 〃 目次6丁 本文171丁 60
13 外科学 須藤義衛門 目次3丁 本文160丁 56
14 〃 目次5丁 本文139丁 50
15 産科学 三浦清吉 目次4丁 緒言3丁 本文4~80丁28
16 〃 目次8丁 本文109丁 40
刊記の版権届出は全て明治十九年十一月十六日、巻三と巻十五のみ『明治二十三年一月十一日印刷同年一月十七日出版』で、他は二十年六月の出版としてあります。
序文を明治十八年の暮れに書いて直ぐに版を組み始め、初刷りで版権を届け出たのが翌年の十一月十六日、許可がおりて印刷・製本を始め、半年後に出版となっていますから、江戸時代とほとんど同じスピードです。ただ、巻三と巻十五の『明治二十三年一月十一日印刷同年一月十七日出版』には疑問が残ります。これらの巻は第二版だったのでしょうか?初版・二十年六月出版の巻をもっておられる方がありましたら御教示下さい。
それともう一つ、有隣堂の公告には薄葉合本の『家畜醫範』があります。大判和製で全
六冊、値段が九円の書をお持ちの方も何時の出版か宜しくお願い致します。
Ⅱ 『家畜醫範』の印刷
先にもふれましたが、『家畜醫範』本文の書式は半葉十行・行二十文字で原稿用紙と同じです。このように書式を整えて規格化するのは活版の版組みを容易にするためで、行数も文字数もおもいのままになる近世の整版印刷では必要の無いことです。
「お前が勝手にそう言っても『家畜醫範』は木版の整版だよ!」と言われれば、版木が失われてしまっているので、私には反論の証拠がありません。しかし、どう考えて見てもこの書物の99%は木活字活版で印刷されているようです。
まず、字数は行二十字です。行の寸法は曲尺の五寸ですから、字の一区画は曲尺の二分五厘、何故か当時の活字規格は着物と同じ鯨尺を採用していて、この大きさは鯨尺の二分で丁度二号活字ぴったりの大きさとなります。因みに初号活字は鯨の四分角(曲尺の五分)、一号が鯨尺の二分五厘となっています。
『活版印刷史』(川田久長・昭和五十六年・印刷学会)で明治期の活字活版印刷について調べてみますと、多くは金属活字を用いています。金属活字の製造方法は鋳物の製造方法と同じで、まず雄型になる母字を作り、これで雌型を押して、溶けた金属(湯と言う)を流し込んで作ります。従って金属活字の場合は母字と殆ど同じ字面の活字が大量に製造出来ます。この様な金属活字を大量に製造してストックしておき、必要に応じて版を組み印刷したとあります。
しかし、同書によると活字活版印刷は新聞など短期間に大量に印刷するには適した方法でしたが、欠点もありました。欠点は用紙とインクが輸入品で高価な上に文字が汚い。この原因は金属の活字はインクを吸い込まないことにあります。活字がインクを吸い込まないと紙を押付けた時インクがはみ出して、不味い仕上がりになります。木版に墨を吸い込ませてバレンで絞り出し、毛筋一本まできちっと精巧に印刷する技に慣れた日本人には許せませんでした。明治・大正には木活字活版印刷がまだまだ盛んで、昭和の時代になっても、木の活字で刷らせる作家がおりました。
木の活字は堅い柘の木を一本づつ職人が彫刻して作るんだそうです。『家畜醫範』は全部で二千百丁、一丁四百字で八十余万字の活字を使用している計算になります。いったい何人の職人が何日かけて彫ったものでしょうか。考えるだけでも気が遠くなりそうです。
そこで、綴じ糸修理のために書物を分解した際、使用されている活字についても調べてみました。『家畜醫範』の場合、一丁に一度は使われる文字は『家畜醫範』と『農務局』と『巻』の文字で、版芯には必ずこれらの文字があります。この部分を連続して拡大複写したものです。手彫りで作った文字ですから良く観ると、字面が微妙に異なっているのが解ると思います。このようなを文字は母字を用いた鋳物生産方式では製造出来ません。
『活版印刷史』を読んで行くと、有隣堂のあった京橋区南伝馬町界隈には沢山の印刷屋と活字屋があって、一個いくらのバラ売りまであったそうです。バラ売りの活字を買って来たかお抱えの職人に彫らせたかは知りませんが、とにかく江戸時代の整版そっくりの活字版が出来ました。後は墨と紙があって、刷り師と呼ばれる職人が居れば印刷出来ます。そんなわけでこれからは当時の紙について調べたものです。
Ⅲ 『家畜醫範』の紙
『家畜醫範』の大部分は伝統的な手抄和紙で出来ています。
わが国における洋紙の生産は明治七(1874)年に日本橋で旧広島藩の藩主・浅野侯の「有恒社」が英国人技師の指導の元に、翌年には「抄紙社」(現・王子製紙)が始めました。なぜこうなったかと言うと、この裏には政府の「地券」発行や西南戦争による新聞発行部数増など、洋紙の急速な需要の拡大がありました。当時の洋紙原料は木綿布屑・ボロ布などで、今日のような木材パルプを原料にした洋紙生産は明治二十二(1889)年からです。王子製紙会社で木材パルプから紙を作り、この紙に輪転機で官報を印刷しなければならない時代になったからです。
従って『家畜醫範』を印刷した明治二十年の東京の紙問屋には美濃の手漉きの和紙か、「抄紙社」(現・王子製紙)、三田製紙所(8年)、ジャパンペーパーメーキングコンパニー、印刷局抄紙部(9年)の機械漉きの木綿紙に、高価な舶来の洋紙しかありません。
考えてみると、『家畜醫範』と言う書物は版に合わせて紙を選んだのではなく、紙に合わせて製版方法を選んだのだなと言う事が理解されます。
もう一度良く『家畜醫範』をみてみますと、巻一の表紙の紙は型押しの厚めの和紙、色が付いていますから漉き直しと思います。しかも表紙の紙は、紙を漉いてから後で、顔料で着色しています。江戸時代と同じ作り方です。内側は薄手な機械漉き木綿紙の整版印刷、おそらくバレンで刷ったものでしょう。扉はやや厚手機械漉き木綿紙に金属の版二色印刷となっています。ここだけはゴロゴロと呼ばれたローラーでインクを付けて洋式に印刷したものとおもわれます。凹版で印刷してるんじゃないか?とも考えています。
本当に『家畜醫範』って書物は
『有隣堂』に関する記録
◎明治十四年二月十二日「東京書林組合会員名簿」に『穴山篤太郎』の氏名が記載されている。
◎「紳士録」には『穴山篤太郎』の住所と職業・納税額が記載されている。『有隣堂』京橋区南伝馬町二丁目十三番。出版業。電話本局一〇五五番。
◎大正元年・東京書籍商組合発行「東京書籍商組合及組合員概歴」に『有隣堂』穴山篤太郎・農書専門、元郡山藩士、明治七年開業とある。
◎大正十二年八月一日発行「現代の獣医」には広告があるが、十月一日発行にはない。大正十二年十月一日発行「現代の獣医」『震災号』には農商務省(京橋区木挽町十丁目)や畜産局が全焼、多くの畜産獣医雑誌が被害を蒙ったとある。京橋区は浜離宮を除き略全域が焼失した。
*関東大震災・大正12年9月1日午前11時58分電信・電話不通となる。2日戒厳令が布告、
◎九月二十一日の大阪朝日新聞に『有隣堂』は麻布六本木警察署前ヤマト楽店へ立退との公告がある。関東大震災によって被災した。
◎昭和十三年「日本出版文化史」小林善八 日本出版文化史刊行会 出版社は三代続くことまれで『有隣堂』も昭和初期に廃業したとある。
東京書籍商組合発行「図書総目録」は第一版 明治二十六年、第二版 明治三十一年
第三版 明治三十九年(614)、第四版 明治四十四年(533)、第五版 大正七年
第六版 大正十二年、第七版 昭和二・四年(18)に発行されている。『有隣堂』は関東大震災前は、官公庁関係の出版を多数行なっている。明治三十九年に販売した614書
中官公所の訳・篇になるものは211書を数える。代表適な獣医・蹄鉄書類は次のようなものがある。 版権者 内容 価格
『家畜醫範』 農商務省 16冊 2100枚 七円二十五銭
『家畜醫範』薄葉合本 農商務省 6冊 2100枚 九円
『馬体主要筋一覧』 陸軍省 1葉 五銭
『牛病通論』 勧農局 460頁 一円 二十銭
『馬原病学』 陸軍省 1冊 50余枚 十四銭
『狂犬病説』 陸軍省 1冊 40枚 十銭
『炭疽病接種試験報告』 農商務省 100余頁 五十銭
宮城県『皮疽及鼻疽病試験報告』 農商務省 50余頁 三十銭
泰西農具及獣医治療機械『説明書』 駒場農学校 40余頁 十六銭
『蹄鉄書』 農商務省 230余頁 五十五銭
『陸軍蹄鉄術教範』 陸軍省 90余頁 二十銭
ドミニツク氏『装蹄書』 陸軍省 100余頁 四十銭
『牧畜全書』 農商務省 2冊 1360頁 二円 二十銭
『農用家畜論』 文部省 200余頁 五十六銭
『牧草図譜』 農商務省 100余頁 一円
農事図解『牧場潅水法』 勧農局 1葉 十二銭
『畜産部試験報告』 農商務省 80余頁 二円
アレン氏『牧牛書』 勧業寮 200頁 六十銭
『牛馬繁殖飼養法要略』 農商務省 30余頁 六銭
農事図解『牧牛法』 勧農局 1葉 十二銭
農事図解『牧牛利用説』 勧農局 1葉 十二銭
『牛史』 農商務省 190頁 五十銭
農事図解『牧馬法』 勧農局 1葉 十二銭
百科全書『馬』 文部省 100余頁 二十銭
『馬外貌名称図解』 陸軍省 1葉 三銭
農事図解『養豚法』 勧農局 1葉 十二銭
『牧羊手引草』 勧農局 60頁 十二銭
農事図解『牧羊法』 勧農局 1葉 十二銭
百科全書『羊篇』 文部省 100余頁 十六銭
値段は大正期のもの。
◎明治41年「東京市市勢調査原表」によると京橋区の人口は124400人・工業従事51831人、活版印刷・活字製造3796人、印刷関連1452人、医者239人・獣医2人となっている。なお、公務員・軍人・自由業は11439人。
表紙の下張り
どうも長い間お待たせ致しました。今見せるから、今見せるからと言って、往来の人々の足を止めるのが香具師の手口。隠すと見たくなるのが人の常。
1 売薬取締に関するもの 明治十三年 活字両面印刷11-17,11-18 洋紙
2 『家畜醫範』産科学目次 袋綴じ片面印刷 和紙 製本の跡あり
3 同
4 図版 片面印刷 洋紙 漉き斑あり 図譜・図説の一部?
5 同
6 ブタペスト近くの馬牧場云々 袋綴じ 活字片面印刷 洋紙 洋行記録?
7 生糸生産に関するもの 明治十一年 活字両面印刷 17,18 洋紙 試し刷り?
8 ○○五十日誌 第六十一号 法令集 報令社 明治九年 袋綴じ活字片面印刷 洋紙 朱入
9 『開農雑報』二十七号 袋綴じ 活字片面印刷 洋紙
11 同二十八号
12 同 三十号
13 同四十二号
14 同五十八号
15 『獣医解剖篇』上巻 袋綴じ 活字片面印刷 洋紙 校正原稿朱入
(原八百太郎・津野慶太郎 全二巻 五百五十頁)
16 『獣医解剖書』第一篇第一章 袋綴じ 活字片面印刷 洋紙 校正原稿朱入
(今泉六郎 四冊 四百頁)
17 『家畜化育要論』 袋綴じ 活字片面印刷 洋紙 校正原稿朱入 獣医解剖書に同じ
(厚木訥平次 一冊 二百十頁)
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