弥生人の渡来と飼部の誕生
大陸から弥生人が渡来すると、馬や牛、鳥、鵜、鷹の文化が大陸よりもたらされ、土着の縄 文人と混血しながら新しい文化が展開して行った。やがて、氏姓制度の大和朝廷が成立した時、家畜を療治した部民は品部であった。
動物の飼育に関する品部には犬養部、馬飼部、猪養部、鳥養部、鵜養部、鷹養部がある。犬養部は屯倉の防盗、馬飼部は天皇の狩猟や行幸、猪養部は天皇用の食物の猪、鳥養部は天皇愛 玩用の鳥、鵜養部と鷹養部は天皇の遊戯の為の鵜と鷹を司どった。牛飼部が無いのは牛養は田部に属するからである。
当時の家畜は犬、馬、猪、鳥、鵜、鷹で、牛は酪・牛黄・角・皮・骨などを得る特別な動物であった。また、鹿は家畜ではなかったが、角・皮・皮毛・蹄・肉と内蔵の膾を得るための、特別な動物であった。家畜はそれぞれの飼部に隷属していたが、牛は田部の外に典薬寮・乳戸にも属し、牛馬と鹿の皮は武器製造の品部にも属するものであった。
明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
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