明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年4月2日木曜日

公家の馬療治書・陽明文庫『葉林抄』

公家の馬療治書・陽明文庫『葉林抄』
 陽明文庫は京都市右京区宇田野上ノ谷町一―ニにある五摂家の筆頭・近衛家の伝襲文書,古典籍等で国宝や重文が多数ある.この中の『葉林抄』は平成十一年に安田女子大学言語文化研究所(広島市安佐南区安東六丁目十三番一号)から安田女子大学言語文化研究叢書4として翻刻された.(編者蔵野嗣久)
 『葉林抄』は編者が解説するように平仲国・桑嶋流の安驥集系の書本で類似の内容を持つ書はかなりある.大陸からの伝来書・版刻「元亨療馬集」「馬経大全」以外の「家伝の馬の療治秘伝」と称する一子相伝の秘伝書は,殆どこの類である.翻刻本は非売品であるため,獣医史学の研究者が目にする折が少ないと考え,解説を転載して紹介するものである.
解 説
 陽明文庫所蔵の『葉林抄』一冊〔分類番号 近-二三九一八四〕は、近世初頭における馬病の治療法を記した獣医学書で、25.5×19.9cmの袋とじである。表紙題大箋には『葉林抄 諸馬諸薬』とあり、本文は九九丁であるが、巻頭に鍼灸点を記した馬図が三図三面(1オ~2オ),巻末に片仮名交りの補注が二面(102オ~102ウ)書き加えられており、それを加えると、全一〇二丁である。奥書・跋文はない。
 本文は、毎半葉十行で、漢字を交えた平仮名文である。内題(3オ)にも「葉林抄」とあり、続いて目録(3オ~9ウ)が第一節から第百廿一節まで記してある。九丁裏の途中から目録にすぐ続いて本文が目録の順序に従って記され、一〇一丁裏で本文が終わっているが、本文には目録に記されていない第百二十二・第百二十三・第百二十四の三節が加わっている。そして、その本文の後に巻末補注の一〇二丁表裏があり、裏表紙に続いている。
 なお、「第五むしはらの次第」は原文が前後続いて二節ある。両節の書き出しは同文であるが、前節は文脈の途中から「第四 けつ馬の次第」 の末尾と同文になっている。これは書写者のうっかりミスによる誤写であろう。また、「第七十人」 は節番号が脱字している。
 『葉林抄』の名は、『国書総目録』(岩波書店刊) によると、本書以外では内閣文庫の二種が記されている。『内閣文庫国書分類目録』では『馬口向秘抄』中の「御ふしんの條目(葉林抄)」および『馬傅秘抄』の第八冊「葉林抄」がそれに当たるものとして掲載されている。明治以後の獣医学研究書としては、白井恒三郎著『日本獣医学史』(昭和一九年刊) があるが、そこに『葉林抄』の名は出ていないし、近年の中村洋吉著『獣医学史』(昭和五五年刊) にも『葉林抄』は登場していない。しかし、室町時代から近世初期に至る頃は内容的に類似の書がかなりの数あったと思われる。その多くは『仲国百問答』で知られる平仲国流の系統を引く桑島新左衛門尉仲綱著『安驥抜書』(永禄五年) に近いようである。例えば、安田女子大学図書館蔵の『秘傅集』(後題『馬薬鍼書』) は、前二著に一部分引用されている目次や内容と近いし、また、本書一二四節中の八七節が『秘傅集』と一致する。 
 本書を上記『秘傅集』と比較すると、一致する節の順序は大体同じである。また、各節の本文も馬薬・治療法の説明は近似しているが、大まかにいえば、本書の方が詳論されているところが多いようである。
 なお、『秘傅集』は馬薬と馬鍼と両方が一書に記されているが、『葉林抄』は馬薬のみで馬鍼は記されていない。陽明文庫には別に『秘薬抄』 〔近-二三九-八六〕があり、そこでは前半に馬鍼、後半に馬薬について記している。
 以上、時間の制約上簡略に解説したが、本書については別途詳論したいと思っている。
 翻刻に当たって、本書並びに参考にすべき図書を十分にこなしえず、浅学であるが故の誤読・誤解があることを恐れている。大方の御教示を請う次第である。

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