明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年12月16日水曜日

日本馬政史・有史以前の馬

日本馬政史では,有史以前の馬骨が尾張の国熱田の貝塚(鳥居説),鹿児島県出水貝塚(長谷部説)から出土した事を根拠としている.熱田の貝塚から出土した骨には二十五本の刻み目があるとして,写真入りで報告され,後の考古学者の興味をひいたが,写真を一見すれば,このような刻み目を刻むには鋼の鋸が必要な事は,素人目にも明らかである.更にこの報告には骨の長さから想定出きる馬体高が添えられている.体高は西南諸島系の小型馬で,後に主流となる蒙古系よりも小さい種類である.このように小型の馬が何故列島に存在したか・・・船を曳く馬もありそうである.

2009年12月11日金曜日

天然記念物・萩市の見島牛の起原に関する報告

「日本古代家畜史の研究」芝田清吾.1969年.学術書出版会.第Ⅴ章 牛 では宝島牛,与那国牛に近く,口之島牛,朝鮮牛がこれに次ぐとする.これまでの研究では各地の貝塚から出土した牛馬の骨・歯を縄文期のものとする判断に拘泥して,朝鮮南下説を採るが,家畜のウシ・ウマ・イヌは南方から島伝いに列島に来た動物である.かつて琉球国と呼ばれた西南諸島には『クリブニ』『サバニ』と呼ぶ小型の漁船から,『ヤンバルブニ』と称する大型帆船,さらに外国航路用の馬艦船『マーラーシン』とこれに付属する「天馬船」まで造られて,環太平洋の各地に通航していた.西南諸島から航路は南風を受けて北に向け出帆すれば,黒潮に乗って必ず薩摩に至る.更にそのまま北上すれば朝鮮半島の南部に着く.九州に上陸が目的なら長崎・佐賀或は博多で,列島本州が目的なら山口県の北浦海岸,出雲半島,若狭湾,能登半島で,これに失敗すると見島や佐渡若しくは津軽へ漂着となる.太平洋側の潮なら日向灘を通る途があり,この航路は瀬戸内海を通って難波へと通じている.更に四国を過ぎて紀伊水道から至る途もある.海洋民にとって陸は舟で越せない厄介な所で,潮と太陽と星と鳥があれば何処にでも自在に行けるのである.

2009年12月10日木曜日

天然記念物・見島牛の起原に関する学術論文

天然記念物見島牛の起原に関する研究 岸浩 

「獣医畜産新報 」

1975 No.652 1216~1228

1975 No.653 1259~1269

1980 No.712 673~679

1980 No.713 733~739

1981 No.725 731~743

以上は師匠の遺品である.別刷りは製本し昭和六十一年六月十九日に署名を給わっている.見島の牛を学ぶ者は一読すべき論文である.

2009年12月4日金曜日

日本在来牛馬とは何か?

三国誌の記述に従うなら,倭の国には牛馬はいない.北方の半島より渡来したものとすれば,それは外来である.新種外来の前に在来種があったとすると,それは三国誌や他の記録に記されているはずである.北方系馬の舶来があったことは古墳出土馬具からも明らかにされるが,実は北方系モンゴル馬で無い馬も存在するのである.しかも,この馬は,コマともマともメとも呼ばれず,最初からウマ・ヌマと呼ばれている.(琉球語)これらのウマの祖先を辿ると,それは南方のポリネシアに源を発している.列島に舶来した馬はポリネシアのウマと北方のコマの二系があったのである.牛の場合は更に端的で,琉球語のウシ以外には列島にはこの動物を形容する倭詞がない.日本海の島々に在来種と言われるウシが残されているが,これらはウシであってギュウではない.山口県萩市の沖の見島種が黒毛和種の祖先で朝鮮渡来と言われているが,真相は定かではない.考えてみれば,半島から荷物を運搬する際は壱岐・対馬経由で博多か関門に至る経路が最短で安全な路である.見島に和牛の祖先となる牛を運ぶ必要は全く無い.何故にこの島に大陸の相牛方に無い牛が存在するのであろうか?文書歴史学者は古文書に無いものは判らないと言うが,漢字よりも牛の誕生の方が古いはずである.

2009年11月28日土曜日

見島牛に関する学術論文

山口大学農学部学術報告第三号・見島学術調査報告に
「見島牛の史的研究」中山清次,「見島牛の顔型に関する生物統計学的研究 特に黒毛和種との比較」小田良助 が掲載されている.見島牛の定義は『山口県阿武郡見島村及び六連村に産する家牛』である.
なお,巷間では見島牛を『天然記念物』とする説が多々みられるが,天然記念物に指定されているのは「見島ウシ産地」で牛では無い.見蘭牛とは名前の通り見島の牛と阿蘭陀の牛の掛けあわせで,現代グルメ産業の生んだ仇花の様な牛である.天然の見島牛のサシはクリーム色で干草の香りがする.肉質は箸で摘まんで切れる程脆弱ではなく,健康な大人が丁度食べられる程度の弾力がある.見島のオス牛は一旦絶えたが名古屋のジーンバンクに精液が保存されており,それを見島に残った牝に種付けし血統を保存する事が出来た.精液の採取・保存に尽力したのは山口県畜産試験場の岸浩博士で,最後の天然見島のオス牛のロース肉を写真撮影後に網焼きにして「これは美味い」と食べられたのは有名?な話

畜産技術協会刊「畜牛に関する市場慣用語」

畜産技術講習叢書・第十三篇 ・・・終りに・・・
一,本篇は尾道常設家畜市場に於て多年市場用語を蒐集研究された,辰巳盛太郎氏の厚意により,同氏の著書を基幹として編纂したものであります.・・・
一,従って蒐録した語句は,勢ひ中国地方の言葉が中心と・・・
 昭和十七年八月三十日 がま金堂印刷 非売品
幾つかの非常に珍しい語句の記載がある.いたふみ,くろちょう,おかうし,おきょううし,げだんうし,うじなむき,てんじんうし,はしらうし,ろ,ちぎ,ふり,だいく,めった,ちょうはん,みづ,おき,あつ,あぶ,ひねり,げだんし.ふとうじし.つぶす,ぼう,ばばたれ・・・
戦前に講習会の参考書として印刷されたもので,この書は現在の古書市場にも,図書館の蔵書目録にも名前が無い.社団法人の畜産技術協会だけは現在も続いている.畜産史の分野の書であるが,獣医学史と重なる部分がある.

2009年8月20日木曜日

山口県売肉規則

 屠牛併売肉規則(明治期山口県布達類17  

 八年五月廿八日

近来肉食日々相関侯処、右渡世之者病牛死牛甚シクハ馬肉犬肉等取交令売却候哉こ相聞侯二付、
以往猥二売鬻差留侯、依テ別紙規則二注意シ更二可願出侯事右及布令候也
 
(朱書)
 〔別紙〕    
屠牛併売肉規則

一屠牛牽人候ハヽ早刻病不病之検査ヲ可請侯事
一取締人ハ改封印紙凡積ヲ以予備可申出候事
一屠牛之都度々々取締之者検査ヲ可請侯事
一屠りタル全肉ハ取締之者売捌所工可致護送候事

一売捌所ハ買方ノ弁理ヲ量り可相設事

一屠牛之有無日々村町役所へ可届侯事

一売肉渡世之者ハ鑑札願請売捌所二テ可買取候専

一無鑑札ニテ営業致シ候者自然有之侯ハヽ、鑑札所持之者肉ハ勿論物々等預り置詳細書面
 ヲ以可申出侯事
一為滋養買肉スル者於同所直買勝手タルヘシ
一馬肉犬肉等取交売捌侯者相顕ルヽ二オヒテハ売高多少二不拘明治六年七月第二百五拾六

  
号こ依り可及処分侯事但、確証ヲ取り訴出侯者エハ賞誉可致侯事

一棟人取締之者卜申合不正筋有之候ハヽ、見付訴出侯者ハ事柄こ応シ相当之賞誉可致侯事
一取締之者人撰之儀ハ会議所詮議ノ上姓名可申出候事
一取締入居牛場出張日二限り一日金五銭宛検査料遣シ侯事