明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年12月4日金曜日

日本在来牛馬とは何か?

三国誌の記述に従うなら,倭の国には牛馬はいない.北方の半島より渡来したものとすれば,それは外来である.新種外来の前に在来種があったとすると,それは三国誌や他の記録に記されているはずである.北方系馬の舶来があったことは古墳出土馬具からも明らかにされるが,実は北方系モンゴル馬で無い馬も存在するのである.しかも,この馬は,コマともマともメとも呼ばれず,最初からウマ・ヌマと呼ばれている.(琉球語)これらのウマの祖先を辿ると,それは南方のポリネシアに源を発している.列島に舶来した馬はポリネシアのウマと北方のコマの二系があったのである.牛の場合は更に端的で,琉球語のウシ以外には列島にはこの動物を形容する倭詞がない.日本海の島々に在来種と言われるウシが残されているが,これらはウシであってギュウではない.山口県萩市の沖の見島種が黒毛和種の祖先で朝鮮渡来と言われているが,真相は定かではない.考えてみれば,半島から荷物を運搬する際は壱岐・対馬経由で博多か関門に至る経路が最短で安全な路である.見島に和牛の祖先となる牛を運ぶ必要は全く無い.何故にこの島に大陸の相牛方に無い牛が存在するのであろうか?文書歴史学者は古文書に無いものは判らないと言うが,漢字よりも牛の誕生の方が古いはずである.

0 件のコメント:

コメントを投稿