明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年12月16日水曜日

日本馬政史・有史以前の馬

日本馬政史では,有史以前の馬骨が尾張の国熱田の貝塚(鳥居説),鹿児島県出水貝塚(長谷部説)から出土した事を根拠としている.熱田の貝塚から出土した骨には二十五本の刻み目があるとして,写真入りで報告され,後の考古学者の興味をひいたが,写真を一見すれば,このような刻み目を刻むには鋼の鋸が必要な事は,素人目にも明らかである.更にこの報告には骨の長さから想定出きる馬体高が添えられている.体高は西南諸島系の小型馬で,後に主流となる蒙古系よりも小さい種類である.このように小型の馬が何故列島に存在したか・・・船を曳く馬もありそうである.

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