明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年12月11日金曜日

天然記念物・萩市の見島牛の起原に関する報告

「日本古代家畜史の研究」芝田清吾.1969年.学術書出版会.第Ⅴ章 牛 では宝島牛,与那国牛に近く,口之島牛,朝鮮牛がこれに次ぐとする.これまでの研究では各地の貝塚から出土した牛馬の骨・歯を縄文期のものとする判断に拘泥して,朝鮮南下説を採るが,家畜のウシ・ウマ・イヌは南方から島伝いに列島に来た動物である.かつて琉球国と呼ばれた西南諸島には『クリブニ』『サバニ』と呼ぶ小型の漁船から,『ヤンバルブニ』と称する大型帆船,さらに外国航路用の馬艦船『マーラーシン』とこれに付属する「天馬船」まで造られて,環太平洋の各地に通航していた.西南諸島から航路は南風を受けて北に向け出帆すれば,黒潮に乗って必ず薩摩に至る.更にそのまま北上すれば朝鮮半島の南部に着く.九州に上陸が目的なら長崎・佐賀或は博多で,列島本州が目的なら山口県の北浦海岸,出雲半島,若狭湾,能登半島で,これに失敗すると見島や佐渡若しくは津軽へ漂着となる.太平洋側の潮なら日向灘を通る途があり,この航路は瀬戸内海を通って難波へと通じている.更に四国を過ぎて紀伊水道から至る途もある.海洋民にとって陸は舟で越せない厄介な所で,潮と太陽と星と鳥があれば何処にでも自在に行けるのである.

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