明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年3月28日土曜日

散所について

さんしょ・散所について

『中世賤民と雑芸能の研究』盛田嘉徳・平成6年2月5日.雄山閣出版の第三章に「散所に関する研究の変遷」がある.中世賤民の主流は河原の者と散所の者で,他に谷の者・芝の者・道の者・巷所等がいるとされる.さんしょ・さんじょとは散所,産所,算所,山所,山上,三所,三条,山庄,山升,山桝,山椒とも書く.森鴎外の山椒太夫の山椒はこの山椒である.享保十九年の「近江輿地志略」には産所村があると述べている.さんしょ・さんじょは一般に散所と書くがこの散の意味は散田の散と同じである.また,産を穢れとして村の外で出産した事から産所の名が出たともされる.中世の散所身分は良と賤民の中間以下の身分である.
第二章は賤称語源考で鷹の餌を集める職務から餌取りと称せられる人々があったと述べている.
第四章の「長吏法師考」には荻生徂徠の「南留別志」にゑたを長吏といふ,張里の誤なるべし,ばくらうといふも伯楽の誤なるべし.
鎌倉時代の書写(推定)「節用文字」に張里・ムマクスシ
文安元年(1444)の「下学集」に馬口労・バクラウ
天正頃「伊京集」に伯楽・ハクラク・馬医師
文安三年「壒嚢鈔」に馬薬師(ムマクスシ)をハクラクと云伯楽と書く.文選には張里をムマノクスシと詠めり.天文年間の「塵添壒嚢鈔」にも同文あり.
弾左衛門由緒書に御入国之御時,御馬足痛・・・とあり.
 

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