第三師管陸軍獸醫分團編纂
木曽野駒
木曽の駒
第三師管陸軍獸醫分團編纂
目次
緒言
第一 木曽馬の沿革
第二 木曽産馬現況
第三 木曽馬一般の体形、性質、著名の美
格及失格
第四 木曽馬分布地域
第五 飼養管理の概況
第六 木曽馬市の概況
第七 木曽馬に就て将来の意見
第一 木曽馬の沿革
古来木曽と称するは福島を中心とする木曽谷の謂にして現時の西筑摩郡なり抑も木曽産馬の起源は其の年代不詳なれども往古より此事業の行われたるは古牧場中霧ケ原牧(現今神坂村湯舟澤区霧ケ原)に安閑帝の二年馬を霧ケ原牧に放ち聊々馬に乏しからずとあり又醍醐帝延喜年間霧ケ原の地に馬寮を置かれしことありと云うに依るも明なり其後壽永之暦の頃名馬を産出したること古書に散見す寛文五午年木曽谷支配代官山村良豊馬匹の体格不良なるを憂ひ其家臣を奥州南部に特派し牝馬三十頭を購求せしめ之を荻曽村薮原在郷菅村(以上現今木祖村)宮越宿原野村(以上現今義村)上田村、黒川村( 以上現今新開村)末川村西野村(以上現今開田村)三尾村黒澤村(以上現今三岳村)王滝村(以上現今の王滝村)福島宿、岩郷村(以 上現今の福島町)上松宿、小川村、荻原村(以上現今の駒ケ根村)の宿村へ配布畜養せしめたり以上の宿村を毛場と称し馬産の重なる地とせり而して贄川宿、 奈良井宿(以上現今の楢川村)奈川村(現今 の奈川村)須原宿、野尻宿、長野村、殿村(以上現今の大葉村)与川 村柿其三留野宿(以上現今の読書村)妻篭宿、蘭村(以上現今の吾 妻村)湯舟澤村、馬篭宿(以上現今の神坂村)山口村(現今の山口 村)田立村(現今の 田立村)を毛外と唱え前陳宿村の次に置けり当時馬匹の改良に注意し良馬を産出せしは左の記事に依るも推考することを得
木曽考績貂抜粋
寛文六年五月三日建中寺にて源敬様御法事の時分良豊公へ成瀬主計殿被申候は木曽にて毎年御取立被成候毛附駒弐百御座候哉参百御座候哉其の分を不残名古屋へ被召寄其の内能馬は殿様御馬に残し残りの分は御家中馬数寄成衆へ為買候は只今御自分り百姓へ 遣はし候 代金の一倍も二倍も百姓に為取候はヽ百姓も悦可申と存候如何有之哉然は御自分御迷惑被成候儀か又は百姓痛み候儀も候はヽ格別に候と被申候處へ松井市正殿被参候に付良豊公御挨拶にも兎角共儀は市正と相談致し重て可申上と被仰候得は御尤に候て主計殿被申候由御屋敷へ御帰後市正殿へ切紙被遣候山村新右衛門御使に参り候に付御口上にも其趣被仰遣候
以手紙啓上致候然は昨日建中寺にて成瀬主計殿へ御咄被成候木曽駒の儀即刻御断り申度存候へ共何れも御入り候故貴様迄重て可申達旨挨拶仕候就夫木曽の儀は先年石川備前支配以後私祖父道勇へ御代官被仰付則ち山川材木萬事の儀備前仕候如く申付候様にと御朱印頂戴仕候毛附駒の儀も先例に任せ私祖父より親兄拙者迄四代右の通りに御座候毛附の儀は年に寄り拾五疋弐拾疋も百姓手前より買取則ち代金呉れ申し候事に候勿論悪馬の文は直に百姓へ返し候故馬主心次第相払候ものも御座候又は手前耕作の為に持候者も御座候御影にて拙者乗領取立申候儀に御座候右の趣可然様に主計殿へも御申伝可被下候委細の儀は此者口上に申合遣候以上
五月四日 山村甚兵衛
松井市正殿
右の通り被仰遣候得は石川内蔵丞と遂内談可然様可申との御挨拶にて則ち年寄衆へも申達得は御届候間其の分に被成候様にと五月九日市正殿御屋敷へ御出事聞相済申候一馬匹取締に関する件山村支配所に於ける保護取締の方法等は不祥なれども文化文政の頃より毎年八九月乃至十月に於て支配所吏員宿村巡回し当歳牡馬の調査をなし宿村吏員及総代比とり左の如き請書を出さしむ右取締は廃藩の際迄行われたり
木曽考績貂抜粋
毎年八九月頃御関所番両人へ申付巡村為致役人より左の通り書附取候
一、当村御毛附駒御帳面へ相記し候通り何村何疋の外村中に壱疋も 当方無御座候若し隠置き後日相知れ候ハヽ何分の越度にも可被仰付候は勿論何方へも一切売払申間敷候事
一、今日御改めの後におばな子出来候はヽ早速御注進申上御帳面に 相記可申御事(おばな子とは検査後、秋季に産出せる者を云う)
一、前々被仰付候通駒出来次第申候はヽ母馬の毛色共に御帳面に相 記候得共能き当歳抔は若し御百姓手前にて同毛の駒を引替候儀も可有御座候間弥入念左様成儀吟味可仕候旨仰附奉畏候事
一、病馬あやまち馬有之候はゝ御注進申上御見分を請死馬御目に懸 け其後埋め候様にと堅く被仰付候奉畏候御事
一御毛附三歳に罷成福島へ引出不申内は内證にて売払候儀縦令持主預置候共堅く仕間敷旨被仰付奉畏候御事
右の通り相違無御座候若相背候はゝ御吟味の上当人は不申及庄屋組頭迄何分の越度にも可被仰付候為其一札差上申候処如件
廃藩後は別に取締はなしと雖も旧慣の久しき各村とも種牡馬補充等の事は慣例に依り其の村に於ける重立ちたるものに於る協議をなし施行し明治十九年組合設立迄経過したり
一、支配所に於る馬匹検査並に馬市場開設の件年調査せし当歳を翌 年半夏前日に於る支配所(福島町)へ牽付しめ検査の上不良のものは鬣を剪り良馬は凡百五拾頭乃至二百頭を留馬と称し翌年検査期迄持主をして畜養せしむ二歳検査の翌日は前年留置きし二歳即ち三歳牝馬の検査をなし良馬拾五頭乃至弐拾頭を支配所へ徴し乗用となせり其代価は綱代(綱代の称は別記の事由より起りしものならん)と唱へ上等馬一頭に付金壱両弐分以下順次等差を附し最低弐分を与へたり其他は鬣を剪り随意売却を許せり而して寛文以後凡百余年間は売却の期日を定めず馬持の重なるもの毎年適宜の日を定め支配所より開市許可を受け回文を以て隣国に通知せり寳暦年間に至り始めて開市の期日を半夏と定め開期を三日とし前日を二歳毛付と云い(即此日前既記載の二歳を検査し良馬は鬣を剪らざるを以て毛附の称ある所以)当日(半夏の日)を三歳毛附(即ち三歳の検査当日)最終(即ち半夏の翌日)を仕舞毛 附と云えり又此三日間を総称して半夏市と云へり
此市開設中は馬政所を設置し売馬(支配所検査にて鬣を剪りたるもの)壱頭毎に鑑札を渡し市場費用支弁の為の手数料として一頭に付銀三匁つヽを徴するの規定なりし廃藩後は福島村戸長役場にて旧慣に倣い鑑札を交付し手数料を徴し開市の費に充つ(村役場取扱中は開市中の取締費用売馬手数料のみにては不足を告くるの故を以て馬匹を繋ぎたる店舗の間口の間数に応じ間口割と唱え一間に付何程として徴収せしことあり)而して売馬配列は国道に沿へ市中店舗の軒先に繋ぎたりしを以て其の混雑実に名状すべからず故に此三日間は国道往来の支障なからしむるために字山手を仮道となせり王政維新後開市日は同一なりしも馬匹検査の事なく随時に売却せしに依り自然良馬を売却せしを以て明治四五年より次第に価格騰貴し追年景気宜しきを得たりしも馬匹は遂年劣悪となるの傾あり
明治十一年旧筑摩県に於て人家櫛此の市中に於て開市を禁ぜらるや当業者より縷々請願する処あり同十三年に至り再開市の許可を得十五年に至り当業者の協議により競買の規則を設け市場改良の端緒を開き現今は西筑摩郡産馬組合事務所前に於て開催す而して開市日数は一週間に亘ることヽなれりまた初秋(九月中旬)に於て三日間中見市と唱え開市す
毛場地方は旧慣により二歳迄は牝牡共に畜養し当歳にて売却することなし雖も毛外地方に於るは当歳にて売却することあり
前項綱代と唱えし理由は心計記に左の記事あり参照の為め記す
権現様より被云置何疋にても御用次第百姓手前より無代にて御取被成候処良豊公御代より在仝り遠方引出し候を無代にて取る事も如何然れども御免の事故代は呉る事不成相候として在より畜ひ候飼料としては少々つヽ被下候処近年は引出料余程に罷成候但し御用並に家中へ御預り馬計りに呉れ申候底馬其他百姓に取せ候馬には構い無之候
木曽の沿革は上記の如く寛文以降殆ど記すべき変遷なく慣例により前述の保護取締をなし以て王政維新に遭遇するに至りたり明治元年東山道総督岩倉公御通行の際木曽産馬の起源等を調査せられし事あり以て山村良醇より牝馬鹿毛五歳青毛四歳の二頭を献せり廃藩後は保護取締等のことなく一に民業に委したるを以て漸次良駿の産出減退するに至る明治十三年御巡幸の際福島町に於て天覧に供するの栄を得其際牝馬青毛三歳鹿毛三歳の二頭御用馬として御買上となり明治十七年本県に於て難誘の結果有志者相謀り牡馬拾壱頭種牝馬九頭を南部地方より購入する等民心漸く産馬改良に心を傾くる者あるに至る同十七年六月本県産馬共進会を福島町に開設せらる等益々改良の必要を感じ明治十九年始めて産馬組合の組織となり以て斯業の改良進歩を実現せしむるの気運に至れり爾後法令の改廃に伴い組合組織等多少の変遷ありしも持続して今日に及べり
第二木曾産馬現況
一、馬政機関は西筑摩郡産馬組合設立前は不完全にして見るに足る ものなし西筑摩郡産馬組合の設立以来組合に於る種馬の購入愛知種馬所の設置と共に漸次改良の緒に就きたり西筑摩郡産馬組合は明治十九年に組織し愛知種馬所は同三十七年に設置せられ種牝牡馬の選定種付馬籍馬市場に関する件を監理し県及郡には畜産技師技手を置き産馬の改良蕃殖を計り特に産馬の保護奨励法として年々四五月頃郡費の補助を受け品評会を開設し馬市場は例年七月及九月の二回数日間に亘りて開催す種馬及産駒に就て左に記さん 一、種馬
種馬に二種あり一は愛知種馬所のものなり年々四月より六月の交開田、三岳、山口、木祖、駒根の五種付所に分遣し種牡馬一頭に付種牝馬六十頭内外に支配す洋種の種付料は金参円雑種は無料とす種付所より同地に分遣せられたるもの左表の如し
愛知種馬所分遣種馬
種付所 馬名 種類 毛色 年令 体尺 産地
三岳 第四ガヅラン 内国産アングロアラブ 黒鹿 12 4.70 下総御料牧場
山口木祖 第五アラブエ 同 鹿 11 4.87 奥羽種馬牧場
開田 神梗 アラブ雑 青 10 5.03 同
木祖 大舘 雑アラブ種 鹿 5 4.87 青森県大舘町
開田 順天 アングロアラブ雑 栗 11 4.95 奥羽種馬牧場
駒ケ根 天沼 同 鹿 8 5.08 同
山口駒ケ根 金鳥 ハクニー種 栗 6 5.05 岩手県遠野村
三岳 春烟 雑 同 6 5.18 岩手県宮古町
備考 一、年令は大正元年算
二、雑は雑種とす
其の二は西筑摩郡産馬組合所有種牡馬なり此種牡馬は各村に預託す預託料として一頭に付一ケ年金拾五円乃至参拾円を徴収す預託者は例年四月より六月の頃各村に設置する種付所に於て八十頭以内初年のものは五十頭の種牝馬に種付す預託者は受胎馬一頭に対し種付料として金参円を徴収す現在福島産馬組合所有の種牡馬は総数三十八頭にして左表の如し
産馬組合所有種牡馬名表
馬名 種 類 毛色 年令 体尺 産地
清盛 一回雑 鹿 9 4.65 青森県七戸
勝露 同 栗 10 4.80 北海道八雲牧場
青森 二回雑 鹿 9 5.05 青森県三戸
小芳 一回雑 栗 8 4.85 岩手県岩手町
萬 二回雑 黒鹿 7 4.70 岩手県玉山
東郷 一回雑 鹿 8 4.85 青森県七戸
横浜 雑 栗 5 4.80 不 明
国一 同 青 5 4.80 青森県田名部
槁立 和 鹿 16 4.70 青森県七戸
紅梅 同 青 13 4.65 同 県
電 同 同 13 4.50 西筑摩郡奈川村
富士 同 鹿 11 4.67 青 森 県
桜山 退却雑 同 10 4.85 同
八甲 和 青 8 4.70 同県 七戸
荒浪 退却雑 鹿 8 4.75 同
千鶴 和 青 8 4.75 同
千山 同 栗 12 4.55 同県田名部
松島 退却雑 鹿 9 4.60 西筑摩郡
城山 和 青 11 4.55 青森県上北郡
金龍 同 鹿 11 4.70 同県 七戸
玉盛 二回雑 同 9 5.00 岩手県玉山
滝盛 一回雑 鹿 8 4.95 岩手県滝澤
北盛 同 栗 9 4.85 北 海 道
武俊 退却雑 栗 10 4.55 西筑摩郡奈川村
天龍 雑 黒鹿 8 4.80 青森県上北郡
津軽 同 青 5 4.60 同県下北郡
旭山 同 鹿 5 4.85 栃 木 県
小山 同 栗 5 4.70 西筑摩郡山口村
富壽 同 鹿 6 4.80 青森県七戸
千秋 同 同 14 4.65 同 県
松緑 同 青 12 4.60 西筑摩郡王滝村
豊川 退却雑 鹿 6 4.75 青森県上北郡
嶽雲 一回雑 同 5 4.90 同
鈴玉 雑 栗 4 4.60 同県 七戸
松月 洋 黒鹿 6 5.00 岩手県岩手郡
浅間 雑 鹿 4 4.70 青森県田名部
神坂 同 同 4 4.60 西筑摩郡神坂村
旭 同 栗 4 4.60 北 海 道
従来此地方に使用せられたる種牝馬は種馬所々有のものも又産馬組合所有のものも体尺比較的低きもの及アラブ系統のものを選べるものの如し蓋し木曾馬種牝馬の体格に応じ適当の処置ならん
種牝馬
種牝馬の数は現在総数六千余頭就中其の数多きは毛場と称する開田、三岳、王滝、駒ケ根、新開の地方併奈川及木祖村なり是等の地方に於る一人にして多きは二三十頭以上を養う例外として四百頭余を所有するものあり(福島町に一名あるのみ)
産駒
種牝牡馬検査の施行せらるゝに至るや産駒の数漸次減少し十年前に比すれば約五六百頭を減ぜりと云う蓋し十年前種牝牡馬の検査を行はざる時代に於ては各人自由に交配生産せし為従て馬格も劣等なるもの多かりき現今に於ては種牝牡馬を選定し概ね隔年に種付するにより馬格も次第に向上し一年の生産数千八百頭乃至二千頭なり生産牝牡の数は年によりて多少の相違あれども概して牝は牡より稍々多きが如し出生時の体尺は種馬所のもの2.70乃至3.00尺組合所有のもの(2.00乃至2.60尺にして毛色は鹿毛を最多として栗毛、青毛、之れ に次ぐ
馬の病に罹ることの甚だ少し開業獣医は開田及新開に各一名此外仮免状所有者三名あり最近数年間に於ける福島に於ける産馬組合の種牝牡馬産駒数併に却数及価格等は左表の如し
種牝牡馬産駒数併売却頭数及価格表
年次 種牡馬数 種牝馬数 産駒頭数 売却頭数 平均一頭の売価明治19年 48 4491 1263 1652 6758
40 55 6194 1496 1663 40597
41 62 6174 1680 1608 42688
42 51 6153 1552 1425 45130
43 43 6370 1787 1404 39388
44 40 6435 1877 1451 43020
第三木曾馬一般の体形性質能力著明の美格及失格
一体形 木曾馬一般の体形は体格矮小中躯過長四肢短小なる小型種の馬にして尚馬体各部に就て述ぶれば次の如し
頭は概ね直頭にして額広く間々軽き庫頭のものを見る眼は中等の大さを有し晴朗にして其の直頭と共に一見其性質温順且つ愛らしき馬相を呈す眼盂は陥凹の度極めて少く二十歳以上の老馬と雖も陥没をなすもの少なく一見新馬の如き観を呈するもの多し耳は梢々細長にして直立せざるもの多し鬣は牡は極めて長く眼を被い牝は中等の長さを有す項は長くして広く且つ多肉なり頚は一般に長く其方向は水牛に近きも其の厚さの幅は大にして多肉其の上縁は凸弯し牡は鬣床に多量の脂肪を堆積し往々一側に傾斜するを見る鬣は其の質粗剛密生して極めて長く茫々として頚側を被ふもの多し頚の付着は概して良好なり鬣甲は低くして厚く多くは顕著なる限界を見ずして緩なる傾斜を以て背に移る背は一般に長きも多肉にして棘上突起の凸陸を明視し得るもの少し又老齢に至るも凹背を見ること少し肩は甚だ峻立し適度の傾斜を有するものなし肋は方円にして平肋のもの稀なり腰は長くして狭き傾きあり肩の峻立、長背と相待って中躯過長の特性を示す尻は概ね斜尻を有し長さ及幅共に短 く此部割合に筋肉発育せず四肢一見短小なるが如きも是中躯過長の為に斯く見ゆるならん其長さ胸の深きより短きものなし(別表参照)而して四肢各関節の発育亦適度なり蹄は一般に小にして其の形可良其の質堅く変形蹄を見ず毛色は鹿毛栗毛最も多く青毛之れに次ぐ河原毛及其の他の異毛は極めて少なし躰尺は四尺二寸乃至四寸のもの最も多く種牡馬(純木曽種)と雖四尺七寸を超ゆるものなく種牝馬は四尺五寸を大なるものと称せり今木曽馬中比較的体格良好と認むるもの十頭に就て検測したるもの左の如し
検査番号 性 毛色 年令 体尺 体長 前躯 中躯 後躯 胸ノ深サ 肢ノ長サ
壱 牝 鹿 6 4.40 4.45 1.00 2.20 1.25 1.85 2.15
弐 同 青 16 4.10 4.45 1.20 2.10 1.15 1.90 2.10
参 同 青 20以上 4.00 4.35 1.05 1.90 1.40 1.80 1.85
四 同 鹿 20以上 4.05 4.25 1.05 1.80 1.40 1.85 1.90
五 同 鹿 6 4.45 4.65 1.20 2.20 1.25 2.00 2.15
六 同 栗 20以上 4.30 4.65 1.10 2.30 1.25 1.90 2.20
七 同 黒鹿 4 4.45 4.55 1.05 2.05 1.45 1.95 2.20
八 同 青 20以上 4.30 4.50 1.10 2.10 1.30 2.00 2.05
九 同 鹿 15 4.20 4.40 1.05 1.85 1.50 1.90 2.15
壱〇 同 鹿 20以上 4.20 4.50 0.90 2.10 1.50 1.85 2.10
平均 同 4.25 4.48 1.07 2.06 1.35 1.90 2.09
純木曽馬と称する種牡馬の馬体各部の検測の結果左の如し
体尺 体長 前躯 中躯 後躯 前膊ノ長サ 管ノ長サ 胸深 頚ノ長 頭ノ長サ 胸幅 尻幅
4.55 4.65 1.30 1.80 1.55 1.20 1.00 2.20 1.75 1.65 1.30 1.65
性質
木曽馬の性質に就ては従来の著書に概ね其の性質柔順ならずとあり又一方吾人が岐阜、愛 知、両県に於て見る木曽馬は何れも其の性質獰悪にして制御極めて困難なるを以て木曽馬 は先天的に此悪性を有するものと想像せしに足る一たび其の生産地を踏み其の馬を見るや従来吾人の脳裡に印せし木曽馬とは全然別紙の如く極めて温順なるに一驚せざるを得ず今其の性質の如何に温良にして柔順たるかは左の記事によりて自ら会得するを得べし今福島市場へ集合せる馬群の状況を見るに之が牽引者の三分の一は婦女子なるは一奇観と云ふべし而して牽引さるヽ馬は極めて静粛に市場に来集し肩々尾々相摩するも市場内毫も騒擾するなし次に市場開設期間中繋留すべき場所は概ね方二間の馬欄内少なくも四五頭多きは八、九頭を入れ馬は凡て放馬となし欄内は馬を以て充され甲村の馬と乙丙丁村の馬と相混在 するに拘らず極めて静粛にして争闘するなし能く人に■み吾人突然接近して体尺等の検測をなすも敢て驚くことなし生産地に於ける木曾馬は性質以上の如し以て生産地に於て馬を取扱ふの懇切なるを想像すべし然るに之が使役地なる岐阜愛知両県に於て其の性質極端の反対を来たす所以のものは全く使役者の残忍酷簿を表明する照魔鏡と見るを得んか
能力
由来木曾の地は生産地にして使役地にあらず故に此の地方にて真の能力を調査する能はざるの遺憾あり今左に使役地に於ける状況を述ぶべし木曽の山地地方に賞用せらるヽは山地の作業労作に巧なるが為なり岐阜愛知両県下に於ては専ら二歳駒を購買し之を育成して使役に供す日々三百貫匁余を積載したる車輌を挽きて六、七里を行き老馬は(二十歳前後のもの) 専ら山梨県巨摩郡地方へ売却せられ尚ほ四、五年間約四十貫(米二俵)を駄載して山 坂を運搬すと云う又西筑摩郡一円は其の地域高原に位し温度低く盛夏と雖も八十度を上らず冬季は積雪少きも四、五寸多きは三尺以上に及ぶ従て気候寒冷なるを以て此地方に生育 したる馬は能く寒気に耐ゆる美点を有し使役地に於ても又感冒・可答児等に罹るもの少しと云ふ然れども暑気には稍々弱き管りと云ふ又木曽馬は皮膚強健にして能く寒気に耐ふる抵抗力強きのみならず夏季蚊虻の害を受くること少し木曽の馬は常に殆んど野草のみを以て飼はる能く粗食に耐ゆるの美点あり尚能力に関して他日木曽馬に就き実地試験を行ひ其の成績を記述すべし
著明の美格及失格
美格としては直頭愛すべき眼と骨格の堅牢背の多肉にして輓駄に好適なると蹄の性質堅硬なるにあり著明の失格は体尺の過低中躯の過長後躯全般の発育不良尻の長さ及幅共に短くして斜尻なるにあり
第四、木曽馬分布地域(木曽馬の販路)
木曾谷は由来産駒の使役地にあらざるを以て年々増殖せられたる幼駒は殆んど挙げて販出せられ販路の主なるは同県に在りては上伊那、下伊那、南安曇、北安曇、東筑摩の諸郡にして其の数も亦最多に在り次て美濃、三河、尾張にして遠江、飛騨、甲斐に於ける需要も少なからず是等の地方は地勢木曾に類似して飼養併に使役上便多きを以てならん而して下伊那郡地方は牝馬を好み甲斐地方は殊に巨摩郡には老齢馬の販出多し之を以て見るに木曾馬の分布地域は長野県、岐阜県、愛知県を主とし静岡県山梨県の山岳地に及ぶものと認む其の用途は主に駄用併に農耕用にして地勢稍々平坦の地方にありては輓用に供せらるも木曾谷外の地に於ては蕃殖用に供すること殆んどなし
第五、飼養管理の概況
木曾馬の飼養は半牧半舎飼なり放牧期間は概ね春分より立冬の間にして此中農繁の期のみは放牧馬の内若干頭を残して厩内に繋畜し農用に供す放牧地は特に牧場として設備したる処なり概ね近傍の林野なり維新前にありては官有民有を問わず何れの地にても放牧し得たれども維新以後官有地の御料地となりし以来民有地の外放牧するを得ず従て地域狭隘となり飼料の不足を来すと共に漸次草の発生不良となれり現今に於ける放牧地は西筑摩郡に在りては開田(西野、末川の二部落より成る)を主とす駒ケ嶽の林廉に於ても若干放牧地あ れども開田村に比すれば狭小にして地味亦不良なり放牧地の草はかや、かりやす、よし及葛等にしてかや、かりやすは主たる飼料なり厩舎は一農家概ね一棟を有す之れに一、二頭乃至七、八頭を混容せり舎飼中の飼料は専ら秋夏の頃に於て刈り取りたる干草のみとす但し農 用に使用するときは特に豆稗等を與ふ(何れも煮熟したるもの)水與は一日五回以上にして飼槽中に汲入れ之れに干草を加え適宜吸飲せしむ其の他一切濃厚飼料を與ず丁重に貯蔵せる葛葉を冬期間唯一の滋養食として之をかや、かりやす等に混入す以て飼料の一般に不良 なるを想見し得べし況んや維新後官有地の放牧を禁せられたる以来飼料不足を告げ此等粗剛の干草すら充分に貯蔵することを得ず為めに放牧以前に於て往々餓死せしむるものありと云う 手入は終歳全く之を施さず只時々竹箒等を以て皮膚の汚垢を払うに過ぎず蹄の如 きも其の侭放任し端蹄廻等を行なうことなしと云う
木曾馬市の概況
木曾の馬市は霊元天皇寛文七年に始まる其の間多少の盛衰るも連綿として今日に至る現今市場の設備は常設厩舎仮設厩舎及売店より成る常設厩舎は粗造な木造厩舎なるも充分雨露を凌ぐ に足り方約二三間のもの多し此中に数頭乃至十数頭を容る仮厩舎は分房厩にして 菰筵■等を以て簡単なる屋根を造る而して売店にす各五六厩舎を附属す故に売店の数は売却馬数の多き程増加する訳なり
入口は二ヶ所ありて茲に入場馬検査所を置き伝染性の疾病を有する馬は入場を禁止す健康馬は検査の証明を與え之を各売店の厩に牽入る売方の方法は競買にあらずして任意売買なり則買人は各厩舎に就て自己の好めるものあるときは其の持主なる売店員と適宜に売買の契約を為すなり産馬組合は売買の出来高に応じ若干の手数料を徴し組合費に充つ売買は其の時限りにして将来如何なる事故あるも責任を有せず
明治十九年組合設置以来の調査に係わる産駒及売買数左の如し
自明治十九年至仝四十四年木曽馬産駒及売買頭数調
年次 産馬頭数 売馬頭数 売馬価額 平均一頭の価格
明治19 1263 1652 11163.750 6.758
20 1436 1267 16165.900 12.759
21 1249 1225 19931.550 16.270
22 1469 1187 15671.750 13.203
23 1626 1333 18054.500 13.544
24 1621 1628 22702.770 13.945
25 1664 1565 27008.320 17.258
26 1629 1568 27830.840 17.758
27 1567 1763 33369.530 18.928
28 1592 1676 38803.450 23.152
29 1606 1925 52841.000 27.450
30 1652 1995 55937.550 28.039
31 1876 1764 51438.450 29.160
32 1515 1580 50068.500 31.689
33 1645 1928 66927.500 31.713
34 1772 1917 55181.000 28.785
35 1679 2052 54826.700 26.719
36 1624 1928 55936.850 29.013
37 1604 1829 47807.900 26.139
38 1492 1822 46857.350 25.718
39 1475 1760 55666.500 31.629
40 1496 1663 67512.700 40.597
41 1680 1608 68642.250 42.688
42 1552 1425 64310.250 45.130
43 1787 1404 55301.500 39.388
44 1877 1451 62421.750 43.020
第七木曽馬に就て将来の意見
木曽馬の産地たる西筑摩郡は中央に木曽川南北に縦貫し同郡殆ど山脈重畳土地磽角にして平地に乏しく山林原野の面積五万町歩を有し樹林欝生せるは僅かに其の十分の一(五千町歩)に過ぎず残り四万五千町歩は生草繁茂せる草地とす此外本郡の面積は耕作地四千町歩(田二千町歩畑二千町歩)雑地(宅地其の他)二千町歩のみなり故に本郡の大部分は草地とす此多大なる草地は概して土地急峻不齋加ふるに磽角之を耕作して美田となし葉園となすは迚も人力の為すべき限りにあらず将来とも草地は多少植林せらるゝことあるも草地として存在するもの蓋し多かるべく草は殆んど無尽蔵なり木曾の地は是れ山間僻地陬の地鉄道の開通せざる往昔にありては農民は適当の肥料を得るの途なく生草繁茂無限の緑肥は目前に充満するも是れ素より遅効肥料たり加ふるに海抜高き此の寒冷の地に於ては到底之を以て満足なる農業を営む能はず茲に於てか農民は堆積肥料を得んとし競ふて馬を養い幾千百の星霜を経て今日に至りたるや明かなり木曾の民馬を養うの目的は肥料を得るを主とし仔馬を得るを副とす換言せば馬の大小の如きは毫も顧慮する所なく否寧に多数小馬を飼ふ方却て肥料製造の目的に副えるものゝ如し木曾の民は金肥を用いるもの稀なり将来と雖も此無尽蔵の緑肥を利用するを得策とし故に馬の蕃殖は必要上衰退することならん然りと雖も軍国に要求する馬に之を改良せんとするは左の理由に拠り望少きが如し
一、堆肥製造の原動力たる馬を養う緑草を刈り之を馬背に積み自家に持帰るものは直接田 畑耕耘するの労力なき老幼婦女のみなり今馬の体格を増大せしめば此等繊弱なる者にては馬を扱い兼ねるに至るべし
二、木曾馬は体躯矮少体質強健の二点を以て古来其の販路を独占し以て福島市場の声名を 博す今此小型を改良して大馬となすは顧客の意志に反す毎年馬市に於て偶々大馬の出づるあるも常に買手なきを以て知るべし
三、西筑摩郡の如き山岳起伏の地に於て大なる馬は仮りに生産し得るも之を育成すること 不可能なり又地勢上到底其の体形を保持する能わず然りと雖も木曾の馬六千頭悉く四尺二三寸の小馬にして軍国の必要に応ぜざるものなしと云うは国家の謀あらず蓋し木曾馬
は素と南部馬の移植に係り保護の荏苒遂に退化して今日の木曾馬となれるものなり今少しく之が保護奨励に努力せば四尺六、七寸に其の体尺を伸さしむるは蓋し容易の業なるべし 此体尺に伸張せしめ木曾馬特有の能力たる山坂上の作業に巧みなること体格強健にして比較的輓駄馬に適すること及び寒気粗食に耐ゆる美点を保たしめば山砲兵機関銃駄馬其の他小行李用として最適なるものと認む将来木曾は此役種馬の産地として奨励し陸軍に於ては木曾馬に限り軍馬管理規則に要求する体尺を下げて四尺五、六寸とし発育の見込ある馬を 購買し其の用途に応じて使役せしむる至れば独り木曾民の幸福のみならず漸次六千余頭の馬を陸軍の用に導くの端緒なりと信ず
明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
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