●品部 しなべ
部は古語では「伴・とも」.氏姓時代の国家の政治・業務組織の称である部(とも・べ) ・部曲(かきのもと)の系統を引く.律令制下に雑戸とともに良民の最下層に位置づけら れる雑色(ぞうしき)階級が品部.氏姓時代の部曲(かきべ)は,国家や朝廷の編成していた宮廷官掌の部や特定手工業従事の部および農耕従事の田部などに対し,原則的に豪族私 有の部であったと考えられている.
大化2年紀には「品部」という用字もあって,律令制下では,「職員令」図書寮の条の紙 戸,内蔵寮条の百済戸,雅楽令条の楽戸,造兵司条の雑工戸,鼓吹司条の鼓吹戸,主船司条の 船戸,主鷹司条の鷹戸,大蔵省条の狛戸,典鋳司条の雑工戸,織部司条の染戸,大膳職条の雑 供戸,典薬寮条の薬戸・乳戸,造酒司条の酒戸,園池司条の園戸,土工司条の泥戸,主水司条 の氷戸,左右馬寮条の飼部などが品部である.
●雑色 ぞうしき
【律令体制下の雑色】良の最下級身分で,農民同様に口分田の班給を受けたが調庸や兵役 を免除され,宮廷工房に上番したり在郷のままで手工業生産に従事して製品を貢納したり した品部(例:治部省雅楽寮に隷属した楽戸,宮内省造酒司に隷属した酒戸など)や雑戸 (例:兵部省造兵司の雑工戸,大蔵省の百済戸など)の民で,賤に近い扱いを受けた.律令 制が弛緩するのに伴い王臣・寺社の工房や荘園に流入して,犬神人や堂衆,散所民となる者が少なくなかった.
【貴族的王朝体制下の雑色】朝廷の官衙はもとより,御所や院,公卿家,寺社に隷属して雑 役に駆使せられた無位の下級役人.無位のため位袍の当色がなく,雑色の着服を用いたことによるとか,雑役勤仕によるとかいわれるが,雑色人の略称であり,呼称の所以は不詳.朝廷の雑色人は,布製狩衣仕立の着衣(色に定めなし)に平礼烏帽子(へいらいえぼし)を冠 ったが,その服装をも雑色と称した.王臣寺社の荘園に流入して,年貢所役を免除される代 わりに,領主経済に必要な手工業品の生産や狩猟,漁労,製塩,牧畜等に携わったり,年貢の 運輸や駕輿丁,清掃(浄め)などの雑役を負担して,散所供御人(さんじょくごにん),散 所雑色と呼称した者も少なくなかった.これらの雑色には,律令制下の品部・雑戸の系譜を引く者や,律令制の収奪を逃れた浮浪・逃亡に出自する者が多かった.
【鎌倉・室町幕府体制下の雑色】鎌倉幕府の番衆組織のなかで,侍・格勤・中間・小舎人 についで最下位に置かれていた下級番衆で,御使雑色,朝夕雑色,国雑色の3種があった.室 町幕府のもとでの雑色は身分がさらに低く下り,触状の使者・営中の雑役・道路の清掃・ 行列の警固・先走りなどに駆使され,足軽,走り衆とも呼ばれ,やがて一般の家僕・下僕も 雑色と呼ばれるにいたった.
【京都所司代に隷属した四座雑色】室町時代末期から江戸時代にかけて,京都所司代の手 先となって市中取締りに当たった四座の雑色があった.五十嵐・松村・松尾・荻野の四氏 をそれぞれ上雑色として,四条室町を基点に市中を四方角に区分してそれぞれ分担し,下部組織として下雑色8名,見座2名,中座12名および最末端に穢多・非人をおくもので,禁裏は もとより門跡・摂関家をはじめ,将軍・幕府役人らの邸宅警固や市中往還時の警備に当た ったほか,布令の伝達,宗門改めの際の検査,訴訟の進達や刑場の立会い・祇園祭の管理,祭日や縁日の取締り,芝居など興行の取締り等,のちになって町奉行所の任務に相当する行政・司法・警察治安などの広範な業務に携わる半官半民の組織であった.
犬養、馬飼、鳥飼、鷹飼、鵜飼、
漢字は四世紀末から五世紀初めに朝鮮半島から渡来してきた人々によって伝えられた。こ の人々の末裔が史(ふひと)で、大和王権の記録を漢字で表記した。帝紀や旧辞の記録を元に紀記が編纂された。
朝鮮半島からの渡来人
4c末~5c始め 応仁・仁徳朝
5c後半 雄略朝
6c末~7c始め 推古朝
7c後半 天智朝
8c 奈良朝
明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
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