明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
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2009年11月28日土曜日
見島牛に関する学術論文
「見島牛の史的研究」中山清次,「見島牛の顔型に関する生物統計学的研究 特に黒毛和種との比較」小田良助 が掲載されている.見島牛の定義は『山口県阿武郡見島村及び六連村に産する家牛』である.
なお,巷間では見島牛を『天然記念物』とする説が多々みられるが,天然記念物に指定されているのは「見島ウシ産地」で牛では無い.見蘭牛とは名前の通り見島の牛と阿蘭陀の牛の掛けあわせで,現代グルメ産業の生んだ仇花の様な牛である.天然の見島牛のサシはクリーム色で干草の香りがする.肉質は箸で摘まんで切れる程脆弱ではなく,健康な大人が丁度食べられる程度の弾力がある.見島のオス牛は一旦絶えたが名古屋のジーンバンクに精液が保存されており,それを見島に残った牝に種付けし血統を保存する事が出来た.精液の採取・保存に尽力したのは山口県畜産試験場の岸浩博士で,最後の天然見島のオス牛のロース肉を写真撮影後に網焼きにして「これは美味い」と食べられたのは有名?な話
畜産技術協会刊「畜牛に関する市場慣用語」
一,本篇は尾道常設家畜市場に於て多年市場用語を蒐集研究された,辰巳盛太郎氏の厚意により,同氏の著書を基幹として編纂したものであります.・・・
一,従って蒐録した語句は,勢ひ中国地方の言葉が中心と・・・
昭和十七年八月三十日 がま金堂印刷 非売品
幾つかの非常に珍しい語句の記載がある.いたふみ,くろちょう,おかうし,おきょううし,げだんうし,うじなむき,てんじんうし,はしらうし,ろ,ちぎ,ふり,だいく,めった,ちょうはん,みづ,おき,あつ,あぶ,ひねり,げだんし.ふとうじし.つぶす,ぼう,ばばたれ・・・
戦前に講習会の参考書として印刷されたもので,この書は現在の古書市場にも,図書館の蔵書目録にも名前が無い.社団法人の畜産技術協会だけは現在も続いている.畜産史の分野の書であるが,獣医学史と重なる部分がある.
2009年8月20日木曜日
山口県売肉規則
屠牛併売肉規則(明治期山口県布達類17
八年五月廿八日
近来肉食日々相関侯処、右渡世之者病牛死牛甚シクハ馬肉犬肉等取交令売却候哉こ相聞侯二付、
以往猥二売鬻差留侯、依テ別紙規則二注意シ更二可願出侯事右及布令候也
(朱書) 〔別紙〕
屠牛併売肉規則
一屠牛牽人候ハヽ早刻病不病之検査ヲ可請侯事
一取締人ハ改封印紙凡積ヲ以予備可申出候事
一屠牛之都度々々取締之者検査ヲ可請侯事
一屠りタル全肉ハ取締之者売捌所工可致護送候事
一売捌所ハ買方ノ弁理ヲ量り可相設事
一屠牛之有無日々村町役所へ可届侯事
一売肉渡世之者ハ鑑札願請売捌所二テ可買取候専
一無鑑札ニテ営業致シ候者自然有之侯ハヽ、鑑札所持之者肉ハ勿論物々等預り置詳細書面
ヲ以可申出侯事
一為滋養買肉スル者於同所直買勝手タルヘシ
一馬肉犬肉等取交売捌侯者相顕ルヽ二オヒテハ売高多少二不拘明治六年七月第二百五拾六
号こ依り可及処分侯事但、確証ヲ取り訴出侯者エハ賞誉可致侯事
一棟人取締之者卜申合不正筋有之候ハヽ、見付訴出侯者ハ事柄こ応シ相当之賞誉可致侯事
一取締之者人撰之儀ハ会議所詮議ノ上姓名可申出候事
一取締入居牛場出張日二限り一日金五銭宛検査料遣シ侯事
2009年8月9日日曜日
西欧諸国・国名漢字表記
英吉利 いぎりす 白耳義 べるぎー 墺太利 おーすとりあ 孛漏生 ぷろいせん 独逸 どいつ 仏蘭西 ふらんす 伊太利 いたりあ 葡萄牙 ぽるとがる 瑞西 すいす 丁抹 でんまーく 瑞典 すうぇーでん 希臘 ぎりしあ 阿蘭陀 おらんだ 諾威 のるうぇー 洪牙利 はんがりー 殆どの国名は,オープンオフイスのライターの平仮名入力から変換できる.これ以外に布哇も一発で変換出来るが,アメリカは亜米利加となる.パソコンとは何とも便利なからくりである.
2009年8月8日土曜日
中国の古典畜牧獣医専門書で現存するもの
中国の古典畜牧獣医専門書で現存するもの
牛経 三国時代
司牧安驥集 北宋時代 改編本
司牧纂験方 宋時代 一巻存
安驥薬方 末巻存
馬書 楊時喬 明
牛書 楊時喬 明
元亨療馬集 明
馬書・牛書は『元亨療馬集』から作られたものである.従って先に掲げた四書以外の書物は書目集に記録されるだけで,現物は存在しないから,その内容についてわが国で出版された療治書と比較・検討することが出来ない.しかし,幸いな事に『元亨療馬集』はその出典書を明記するため,書目集と照らし合わせて内容の成立時期を推定する事が出来る.
2009年8月3日月曜日
時重初熊は駒場農学校の植物病理学科に入学した
防長本草学及生物学・農学年表 日野巌編 昭和五十二年十月二十日 マツノ書店発行 復刻版 編著者は明治三十一年生れ,大正十二年東京帝國大学農学部卒,昭和五年農学博士,昭和二十五年山口大学教授,昭和二十八年同大農学部長,昭和三十六年日本植物病理学会会長,山口県文化財審議会委員,山口生物学会会長.明治十三年四月,駒場農学校に植物病理学科が設けられ,時重初熊らが入学.翌年三月に廃止.慶長十五年,十七年,寛永十五年,寛文十一年,延宝元年に耕牛大量死,寛永十六年,正保三年,寛文十二年に牛疫流行,寛保元年三月狂犬病が流行したとする.