明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2009年8月3日月曜日

時重初熊は駒場農学校の植物病理学科に入学した

防長本草学及生物学・農学年表 日野巌編 昭和五十二年十月二十日 マツノ書店発行 復刻版 編著者は明治三十一年生れ,大正十二年東京帝國大学農学部卒,昭和五年農学博士,昭和二十五年山口大学教授,昭和二十八年同大農学部長,昭和三十六年日本植物病理学会会長,山口県文化財審議会委員,山口生物学会会長.明治十三年四月,駒場農学校に植物病理学科が設けられ,時重初熊らが入学.翌年三月に廃止.慶長十五年,十七年,寛永十五年,寛文十一年,延宝元年に耕牛大量死,寛永十六年,正保三年,寛文十二年に牛疫流行,寛保元年三月狂犬病が流行したとする.

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