明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
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2012年8月24日金曜日
山口県下士族と平民の沿革
長州藩の階級区分として 華族・国主,御末家.士族・御一門,家老,寄組,八組,遠近,無給,御徒歩,三十人,陪臣.平民・町人百姓,茶煎非人穢多がある.この階級区分は明治元年の版籍奉還時に諸士は士族,足軽その他組の者は卒族,百姓町人は平民となるが,穢多等の身分はそのままとされる.馬医は士族である.
2012年8月16日木曜日
2012年8月13日月曜日
2012年8月11日土曜日
北島三郎は満州帰り?
「日本獣医学人名事典」には山口大学教授・鹿児島大学教授で台湾犀東農業学校教授とある.台湾の犀東は屏東(へいとう)の誤り.現在の国立屏東科技大学で1924年開校の高雄州立屏東農業補習学校のこと.1924-1945年まで校長は日本人.「現代の獣医」に大正時代の台湾の畜産事情の報告があるが,台湾の畜産は豚と家禽が中心で牛馬は少ない.
2012年8月5日日曜日
昭和33年刊「防長本草学及生物学史」
著者は「日野巌」略歴に明治三十一年九月一日午後十時出生とある.大正十二年東京帝国大学農学部農学科卒とある.その後宮崎高等農林学校教授を経て印度支那に赴任.昭和二十一年四月二十五日復員.同年八月三十一日山口獣医畜産専門学校講師.前掲山縣論文では佐賀閥の副頭目を満州帰りの北島三郎とするが,日野巌も似たような輩.
2012年8月4日土曜日
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