小野忠熈著「山口県の考古学」昭和六十年吉川弘文館発行によれば,五・六世紀の古墳十二基から馬具が出土している.防府市右田前方後円墳片山古墳・銀製杏葉,雲珠,轡,鞍,下松市天王森古墳・轡,山口市馬塚古墳・轡,鞍,山口市白石茶臼山古墳・轡,下関市上ノ山古墳・轡,下関市秋根二号墳・轡,周東町北方古墳・轡,下松市宮原遺跡七号住居跡・轡の部品,防府桑山の中腹の塔ノ尾古墳・輪鐙一対,長門市糘塚・金銅製壷鐙二対,馬具の断片・山口市幸崎一号墳,下関市若宮古墳,吉敷郡阿知須町丸塚二号墳.滑石製石馬・山口市吉田馬木,宇部市東岐波波雁ガ浜遺跡.
明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
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