明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.

2013年3月22日金曜日

天保二年の大一揆

天保二年の大一揆は,七月二十六日,吉敷郡小鯖村観音原皮番所を発端とする.この時の皮番所の設置は不浄の皮が穂孕み時の田の側を通行すると不作になるという伝説に基づいている.
 近世の皮とは特牛皮のことで,これは斃牛馬の死体処理権を持つ身分の者が藩に上納する重要な品であった.しかし,近世の萩藩では軍用の皮はさほど必要ではなかったため,一部分は金銭で上納されていた.萩藩では皮一枚が銀六匁とされているから,現在の金額に換算して四万円ほどであろうか.
 小鯖村の番所で取り締まる皮とは,仁保一帯から三田尻に津出しする皮で,宮野・山口・吉敷の皮は川船で小郡の東津に津出しされ,それぞれ瀬戸内海船便で大阪の渡辺村に運ばれたと見られる.
 

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