明治三十三年度は2289頭発病,斃死は30頭1944頭回復.34年度627頭発病,斃死52,回復566頭,35年度522頭発病,斃死13,512頭回復.撲殺は41年度からで634頭発病のうち4頭を撲殺している.
斃死獣はいずれも幼獣で成獣では稀である.古い家畜疾病予防学の教科書には,発生した場合は完全に隔離するか,撲殺とある.感染が拡大する恐れがある時は強制的に感染させて流行期の短縮を図るとされている.強制的に感染させた場合,牛群は2・3週間で免疫を獲得する.
明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
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