明治維新の頃,日本にはまだ獣医の制度はありません.この頃は馬の療治は武士の身分の「馬医」が行っていました.やがて,軍隊が洋式化され,革靴,羊毛服,牛肉缶詰が大量に必要となると,馬医は獣医と名称を変え,資格も国家試験免状となります.日本の獣医術や獣医学は主に軍馬の治療と軍人の食料(牛)・衣服(羊)のために発達しました.軍犬や軍鳩が研究の対象となるのは,ずっと後の事です.
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2012年5月11日金曜日
「大江戸飼い鳥草紙」細川博昭・吉川弘文館196-197p
犬の飼育書
さまざまな動物の飼育書が作られていた江戸時代には、もちろん犬に関する飼育青も存在していた。矮狗に代表される小型の犬種については『狆飼養書』という専門の飼育書もあったが、当時の犬の飼育書の中で、特に注目したいのが犬全般についての飼い方を記した『犬狗養畜伝』という小冊子の存在である。
『犬狗養畜伝』は、犬を飼う人間の心構えから始まり、犬の病気や怪我の手当ての方法、与える薬のこと、また犬に噛まれた人間の治療方法などが順序立ててまとめられており、きわめて実用的な本という印象を受ける。とりわけ初めて犬を飼う人間には役に立ちそうな本である。記述には『和漢三才図会』からの借り物も多く見られるが、他の書物などから得られた情報もあり、そうしたさまざまな情報に私見も交えて、上手く編集がしてある。
だが、この本の最大の特徴は内容もさることながら、その製作過程および配布方法にあった。実はこの本は、通常の出版物ではなかったのだ。『犬狗養畜伝』は、犬の薬などを販売していた本の著者が宣伝および販売促進のために作った、今でいう自費出版本だったのである.この本の著者である浪速の商人、暁鐘成は著述家でもあり、さまざまな分野の本を四十冊近くも出版している人物だった。本を書く技術を十分に持っていた著者が、その技術を商いにも生かそうと考え、作り上げた本だったのである。
商品を買ってもらいたい相手に対し、有益な周辺情報と、どのような場合においてこの商品が有効なのかをまとめた小冊子を作って渡すというのは、きわめて現代的な商売方法である。この冊子に、浪速の商魂がこの時代にも強く息づいていたという一つの証拠を見た気がする。
ところで、当時の大坂、広くは日本では、こういう本を作って販売促進をするに見合うだけの犬が飼われていたのだろうか。
答えは、イエス、である。
『犬狗養畜伝』 (『日本農書全集』第六十巻、農山漁村文化協会、一九九六年) の解題において分析を行なつた白水完児氏は、元禄時代の江戸の捨て犬収容所の収容頭数から、江戸および大坂では飼い犬に野良犬の数を加えると、そこに住む庶民の数に匹敵するほどの犬がいたと推測している。当時の庶民の数は江戸で約五十万人、大坂で三十五万人前後と考えられている。そこまで犬の数が多かったかどうかはわからないが、さまざまな状況証拠から、放し飼いにされ、複数の人間によって共同で飼育されていた犬を含めると、江戸で十五万頭以上、大坂で十万頭前後かそれ以上の犬が飼われていたのはどうやら間違いなさそうである。
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